選擇寺[2]「切られ与三郎」蝙蝠安の墓

選擇寺 蝙蝠安案内板

嘉永6年(1853)江戸三座の一つ、中村座(この時は浅草にあった)で初演された「切られ与三郎」の呼び名でお馴染み、歌舞伎「伎与話情浮名横櫛/よわなさけうきなのよこぐし」主人公与三郎の相棒「こうもり安」のお墓が、以前紹介した選擇寺(せんちゃくじ)にあります。

 

本名は山口瀧蔵。
文化元年木更津五平町(本町)の大きな鬢付け油屋「紀の国屋」の次男として生まれ、素晴らしい美音の持ち主で特に常盤律が上手く、金まわりも良く、花柳界の寵児と言われたほどの男ぶりだったそうです。
夕方になるとふらふら出歩くことから蝙蝠(こうもり)安と呼ばれました。

芝居の登場人物としての蝙蝠安のようにゆすりを働くような人柄ではなく、芝居中に右頬にある蝙蝠の刺青も、実際は左の太ももに蟹の刺青があったようです。

選擇寺の紀の国屋代々の墓碑銘に「進岳浄精信士 慶応四年四月五日」と戒名が刻まれています。

 

伎与話情浮名横櫛あらすじ

江戸の大店伊豆屋の若旦那の与三郎はあまりの美男だったためか木更津の親戚に預けられていた。
与三郎が春の潮干狩りに出かけた際に、お富を見そめ、一目ぼれし合った美男美女の二人は浜辺で密かに逢瀬を楽しんだ。

しかしお富は地元の親分赤間源左衛門の妾であったため幸せは長く続かず、与三郎は親分の手下に襲われ全身三十四カ所を切られ、お富は海に身を投げてしまう。

逃げ延びた与三郎は勘当され、三年後、傷だらけの容姿になって周囲に恐れられた与三郎はごろつきとなっていた。
そして仲間の蝙蝠安に連れられたゆすり先の家に囲われていた、死んだはずのお富と再会する…

 

蝙蝠安の墓 与話情浮名横櫛こうもり安

▲「こうもり安」の墓
浮世絵は歌川豊国(歌川国貞)『与話情浮名横櫛』のこうもり安 ※まちごと浮世絵ミュージアムパネルより

選擇寺 所在地:木更津市中央1-5-6

 

与三郎の供養墓(実際のお墓ではありません)は木更津駅西口を出てすぐの光明寺に、与三郎とお富が初めて出会った場所「見染めの松」が木更津港の鳥居崎海浜公園に、二人で密会した旅籠屋の鶴田屋経営者の墓が成就寺にあります。

作中は当時の江戸で木更津が舞台になっていますが、実在のモデルは木更津の他に東金・大網辺りや東京品川等の説があります。
いずれこのブログでも紹介するかも?

参考図書
・『木更津市史』他案内板等