「グッドバイ また会わん」新島襄終焉の地

新島襄終焉の地入口 新島襄終焉の地
▲同志社大学創立者新島襄先生終焉の地

明治22年(1889)11月に病に倒れた新島襄先生は、周囲の勧めで12月28日から百足屋 ( むかでや ) 旅館の別館・愛松園で療養を始めました。

しかし明治23年(1890)1月20日危篤に陥り、大磯に駆け付けた妻の新島八重に送った最後の言葉は「グッドバイ、また会わん」でした。
1月23日午後2時21分永眠。享年48歳。

永眠50周年の昭和15年(1940)10月に襄先生の門下生達が 旧百足屋の敷地内に碑を建立しました。

新島襄終焉之地碑 新島襄終焉の地案内板

▲碑の石は襄先生の故郷碓氷(群馬県安中市)産で、文字は徳富蘇峰の筆です

 

明治の先覚的教育者新島襄は、1843年2月12日(天保14年1月14日)江戸神田の安中藩邸内で、藩士新島民治の長男として生まれた。

その当時は、近代日本の黎明期に当り、新島襄は憂国の至上抑えがたく、欧米先進国の新知識を求めて1868年(元治元年)函館から脱出して米国に渡り、苦学10年キリスト教主義教育による人民強化の大事業に貢献する決意を抱いて1874年(明治7年)帰国。
多くの困難を克服して、1875年(明治8年)11月29日京都に同志社英学校を設立した。

その後宿願であった同志社大学設立を企画して東奔西走中 病にかかり、1890年(明治23年)1月23日療養先のここ大磯の地 百足屋旅館で志半ばにして47歳の生涯を閉じた。
(案内板より)

 

・新島襄終焉の地
所在地:神奈川県中郡大磯町(大磯駅より徒歩5分)

参考サイト
大磯町HR内『大磯町観光情報サイト イソタビドットコム』 http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/