韮山代官江川家と担庵

本立寺の江川担庵像 韮山反射炉

韮山まとめ。いずれ江戸版も…
江川邸と韮山代官所 – 重要文化財「江川家住宅」
幕末維新時の江川太郎左衛門 – 最後の韮山代官
本立寺 – 江川家の菩提寺
パン祖のパン – 「パンの祖」坦庵の兵糧パン
韮山反射炉
 └反射炉敷地内の記念建立物等 – 臼砲や記念碑など

江戸時代、伊豆の国市域の村々の多くは、幕府直轄領や旗本領となっていました。
勘定奉行の下で、幕府直轄領の支配を担当したのが韮山代官です。
韮山代官の職は代々江川氏が世襲していました。その支配地域は時期によって異なりますが、概ね現在の静岡県東部・伊豆地方、神奈川県・東京都・埼玉県・山梨県にまたがる広い範囲に分布していました。

歴代の韮山代官で最も有名なのは幕末に活躍した江川太郎左衛門英龍(ひでたつ、担庵/たんなん)です。
英龍が代官となった当時は、天保の飢饉によって各地で一揆や打ち壊しが頻発するなど、非常に困難な時代でした。しかし英龍は巧みな行政手腕によって支配地の村々を立ち直らせることに成功しました。
彼はまた、幕末日本の海防政策にも大きな業績を残しています。西洋砲術の普及、鉄製大砲鋳造用の反射炉建設、江戸湾内海の台場建造、農兵制度採用の建言など、その仕事は明治維新後の日本の近代化にもつながる先進的なものだったのです。(韮山郷土資料館リーフレットより引用)

江川太郎左衛門英龍担庵肖像 担庵直筆の絵画と世直大明神札

江川英龍の肖像と直筆の絵画(江川家住宅展示品)
『富士画賛』里はまだ夜深し富士の朝日影
『甲州微行図』韮山代官管轄地に一揆・打ち壊しが横行する農民の状況把握のため、天保8年(1837)8年3月頃に江戸の剣豪斎藤弥九郎と供に刀剣行商人に扮装してひそかに視察に回った当時を思い起こしたもの。視察の結果、打ち壊しの鎮静や窮民援助を積極的に行い窮民の援助に勤め結果を出したため領民に「世直し江川大明神」と敬愛された。左下が世直江川大明神のお札。

 

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・江川文庫『勝海舟が絶賛し福沢諭吉も憧れた幕末の知られざる巨人 江川英龍
・仲田正之『実伝 江川太郎左衛門』『江川坦庵