鋸南町竜島「頼朝上陸地」

頼朝上陸地

 平治の乱後に伊豆国(静岡県)の蛭ケ小島に遠流の身であった源頼朝は、治承4年(1180)8月17日34歳の時に平家打倒の兵を挙げ、8月23日相模国(神奈川県)石橋山の戦で大庭景親(おおばかげちか)軍と戦い、敗れた。

 8月28日に相模国土肥郷真名鶴崎(現真鶴岬)を小船で脱出、わずかな供を連れて安房国(千葉県の房総)へ渡航し翌29日に上陸した地は、安房郡鋸南町竜島(吾妻鏡に安房国平北郡猟島に着くとある。竜島は猟島とも呼ばれる)、源平成衰記と義経記が館山市洲崎(八幡社(洲崎明神)に参拝している等)が有力視されてきたが、文学博士大森金五郎氏の研究により現在の鋸南町竜島を上陸地点と認定し、千葉県指定史跡となった。

 頼朝上陸当時の安房の国情は、安西・神余・丸・東条・長狭の五氏が、ほぼ国を五分して領国支配をしていたが、長狭氏を除く四氏が頼朝を擁立した。
 同じく安房国に落ち延びた北条時政・三浦義澄らと合流し再起を図り、房総一の兵力を誇る上総介広常の居所へ向かうが、9月3日に長狭(鴨川市)で平家方の長狭六郎らの襲撃に遭う。

 ひとまず戻って源氏恩顧の豪族 安西景益(あんざいかげます)の館(南房総市池ノ内)に入り各地の豪族に使者を送り挙兵を促し、情勢を見極めた頼朝は、9月13日に300余騎を率いて再出発し上総に向かい、千葉介常胤に迎えられ北進していく。遅参した上総介広常や武蔵武士達を集結し10月6日に鎌倉へ到った。

源頼朝上陸地の碑頼朝上陸地案内板

▲源頼朝上陸地の碑

参考サイト
・鋸南町オフィシャルサイト http://www.town.kyonan.chiba.jp/
・鋸南町商工会 http://www.kyonan.gr.jp/

参考図書
・福田 豊彦, 服部 幸造 『源平闘諍録 下巻