不二心流「中村一心斎」成就寺供養墓

成就寺門石左 成就寺門石右 成就寺内石
成就寺の剣聖中村一心斎供養塔
南無妙法蓮華経 法界
安政二年四月建之  満足山 四十三世 日涼

一心淨念曇龍居士 中村一心斎為菩提
智徳院妙勇大姉 俗称芳為菩提
大河内氏  熱田氏

大河内 幸左エ門
同   孫左エ門
同   總三郎
友野 七左エ門

安政2年(1855)4月建立。紺屋「島屋」大河内幸左衛門と一族の名。島屋の当主は代々「幸左衛門」の名を継承している。『満足山成就寺史』によると熱田氏、友野氏は成就寺の有力檀家。
建立後に遭った南町の大火災「島屋火事」のためか右側が焼けているようである。

 

中村一心斎藤原正清
幼名は八平。通称は左膳(さぜん)、宮門(くもん)。名は正清。字は一知。号は一心斎、不二翁剣、加藤曇龍(どんりゅう)、不退転曇龍。行者名は藤開行。
碑文に「身長六尺二寸美髪三尺五寸」とあり長身の偉丈夫であったようだ。
中村家は加藤清正を祖先とし、代々高力(こうりき)家に仕え、寛文8年(1668)島原藩主高力左近太夫隆長が改易されると浪人となるが、高力家にかわって島原に移封された松平家に仕える。

天明2年(1782)八平は肥前国島原藩(長崎県)藩士中村八郎左衛門一直(かずなお。中村喜兵衛4代目)の次男として生まれる。
寛政元年(1789)8歳で島原藩士の板倉勘助勝武に浅山一伝流の兵法を学ぶ。
寛政10年(1798)17歳で島原藩士の花村小三郎の婿養子になり花村宮門と称す。
寛政11年(1799)6月21日、八平は20人扶持「中小姓」となる。12月8日江戸詰の義父に従い江戸に移る。江戸では都築(つづき)與平治と津田武太夫三全から武術を学んだ。
享和元年(1801)3月1日「御通番」となる。
文化元年(1804)病気を理由に島原に帰郷し実家で療養。花村家を離れたため中村宮門中村八郎左衛門一知を名乗る。
江戸に戻り剣術で丹羽家に仕えた後、神道無念流戸賀崎(とがざき)知道軒暉芳に随身。
文化3年(1806)麹町六番町鈴木派無念流道場・鈴木大学(鈴木斧八郎重明)の高弟となり3年の間「塾頭」となる。文政元年までに18の流派を極めたという。

文政元年(1818)6月10日に富士山へ単身登頂し100日の過酷な修行により9月26日不二心流(ふじしんりゅう)を立てた。富士浅間流(ふじせんげんりゅう)とも呼ばれる。
江戸八丁堀に構えた道場は門下が2千名ともされ隆盛した。
文政3年(1820)9月から10月まで島原に滞在した時の風貌は被布(ひふ)を纏い長剣を横たえ、頤から胸の下まで長く髭を伸ばし、象牙の環の耳飾を通し、錦の袋を垂れて髪を納めて、山伏のようだったと描写されている。この頃から一心斎と呼ばれるようになったようだ。
そして江戸に戻るも八丁堀道場を大河内縫殿三郎に任せ、東北を廻る。水戸笠間方面より下総へ向かう。
文政5年(1822)2月15日に下総国海上郡足川村で代官の岩井市右衛門とその子重兵衛に剣術教授。近隣の有力者にも指導した。

『日本武術神妙記』に伝聞であるが水戸藩での鵜殿力之助、若き海保帆平(かいほはんぺい)との仕合いについて、勝負つかずであったが老齢ながらの精力と、一心斎の神妙な立ち回りで精神的に圧倒し水戸公に賞賛された(直心影流の山田次朗吉談、ここでは要約)逸話が収録されている。
伝聞ではなく飯野藩剣術指南役の北辰一刀流森要蔵本人が「予弱年の頃、八州を遊歴せしに、中村一心斎と暫く剣友となり、相交はりたるなり。一心斎朝暮内観の法を修す。予又これに随ひて学び得たり」と、一心斎との交友と練気養心を学んだことを記しているように、内観の法の成果か老いても気力は冴え、不二心流を継承した大河内家が店を出した上総国望陀郡の木更津に在り、大河内家の本拠下総国匝瑳郡小笹村(千葉県匝瑳市)の道場と木更津の道場で指導した。

森要蔵と中村一心西斎
▲森景鎮(森要蔵)『劒法擊刺論』中村一心斎の記述

晩年の嘉永の頃(1848~)は妻を同伴して上総国武射郡屋形村(現山武郡横芝光町)の漁家、海保惣兵衛正義(海保沙崖)方に来訪、その後は忠左衛門の元に移る。屋形では十数人の門下がいたが、極意を授けたのは正義と忠左衛門のみであった。

忠左衛門家に妻を預けて、次は香取大宮司家を訪れ、最後は下総国埴生郡赤荻村(あこぎ、あかおぎ。千葉県成田市)の鵜沢家に移る。
嘉永7年(1854)10月3日鵜沢覚右エ門宅で死亡。享年73歳。赤荻村善福寺に葬った後、小笹村に分骨し大河原家を中心に門人達が葬儀を行い、碑を建立した。
木更津成就寺にも門人多数が集まり三日間剣道大会を開いて葬儀を行い分骨した遺骨を納めた供養墓を建立。戒名「一心清念曇龍大居士」

逸話として、一心斎はいつも蓬の粉末を飲んで壮健さを保っていたという。
後の有名な創作として、中里介山の時代小説『大菩薩峠』の甲源一刀流の巻で、中村一心斎が試合の行司役として登場している。

成就寺正面 成就寺俯瞰地図

▲現在の成就寺と門石、木更津鳥瞰絵地図の成就寺 ※鳥瞰図は木更津駅前パネルより
昭和4年『千葉縣木更津町鳥瞰』の門にも一心斎の供養塔が描かれている。

満足山寶珠院成就寺 (まんぞくざん ほうじゅいん じょうじゅじ)
応永33年(1426)2月8日に日運上人により創建。
所在地:千葉県木更津市富士見1-9-17

■■不二心流と木更津「島屋」■■