成東元倡寺の不二心流剣道碑

元倡寺山門 元倡寺不二心流報国社の碑

庭賢山元倡寺(がんしょうじ)と不二心流の顕彰碑
明治時代に不二心流四世大河内正道が成東町(なるとう。山武市)天神山の元倡寺に「興譲館」道場を置き、弟の大河内四郎信明と共に指導した。後の昭和43年に不二心流六代土屋政太郎(まさたろう)安高と関係者一同が元倡寺の境内に顕彰碑を建立。

不二心流
 開祖中村一心斎は夙に十八流を究めたが文政元年霊峰富士に登り剋苦研鑚壹百日九月廿六日夜霊威を得て不二心流と稱し后(後)常総の間を遊歴してその技を傳えた。
 二代大河内縫殿三郎は君津郡木更津町・匝瑳郡西小笹村に、三代大河内宗三郎は君津郡祇園村・大寺村に道場を設けた。
 四代大河内正道は関東諸国に門派を広め后木更津町に隠退。明治二年結城藩主水野日向守が成東巡回の際召されて撃剣師範役となり元倡寺を興譲館道場とし弟四朗が主として教授に当った。明治十五年四朗死亡により成東に移り上町に道場を置き明治三十三年より大正四年迠(迄)成東中学校撃剣教師となった。
 五代伊庭兵二は昭和三年成東成東町に不二心館道場を建設した。同門の人々皆一致団結して斯道の興隆に務め昭和二十四年土屋政太郎六代を継承して今日に至った。これを以って山武君津匝瑳郡下には伊那なおその流を汲む者が特に多く斯道先覚者諸氏の献身的薫陶は郷党の道義髙揚に顕著な美績を残されている関係者一同は諸先生の遺徳を慕い年々法要を行って冥福を祈って来たがここに碑を建立して顕彰し一層の精進をお誓いする。
 昭和四十三年六月三十日 不二心流報国社
 題字 松本縫三郎、文並書 土屋政太郎

※当記事で句読点等を追加した

不二心流碑篆額 不二心流顕彰碑の発起人

 

庭賢山元倡禅寺
応安元年(1368)10月1日に臨済宗の具保禅師創開、南紀より椰樹の柱を携え来たと伝わる。宋国請来の阿弥陀仏像が本尊。
大永年間に成戸(成東)城主千葉利胤が梅月禅良和尚を招き曹洞宗に改める。
天正18年(1590)成東城落城時に伽藍を焼失し寛永10年(1632)東金代官野村彦太夫が檀家となり伽藍を再興した。(二代目野村彦太夫造立の九重塔は山武市指定文化財)
山武地域の農村で朱子学(上総道学)を広めた大儒稲葉黙斎(いなばもくさい)正信の墓所。

所在地:千葉県山武市成東2697

■■不二心流と木更津「島屋」■■