宮川熊野神社と不二心流

宮川熊野神社拝殿 宮川熊野神社賽銭箱不二心流門人名
熊野神社拝殿と賽銭箱に刻まれた不二心流門人名 ※この門人名画像のみ見やすいように加工有

熊野神社不二心流藤城氏碑1基 熊野神社不二心流藤城氏碑門人中2基
藤城氏の碑
吉高以降藤城氏三代の功績を称える立派な碑が門人達によって建てられた。

 

藤城吉高
号は百翁。無一翁に就き、武を不二心流中村一心斎に学ぶ。家塾を設けて文武両道を教えた。妻は佐藤氏の娘。三男一女あり。
文政3年(1820)正月15日に下総国匝瑳郡宮川村(横芝光町)で代々神官の藤代家に生まれる。
天保13年(1842)4月に熊野神社祠官となり、伊勢守に任じられ匝瑳郡神官都司を歴任。
宮川800石の領主内藤因幡守に仕えて撃剣指南役となる。
嘉永2年(1849)に海防の事に勤労し甲冑を賞賜される。
明治2年(1869)神官督令に転じ神習殿式教を兼ね神官職免許状を賜る。
明治7、8年頃に家塾で息子の藤城吉隆吉直の兄弟が子弟の教育にあたった。
明治29年(1896)2月19日に77歳で死去。 明治34年に弟子達が碑を建立。

藤城吉高顕彰碑 熊野神社不二心流門人名右側 熊野神社不二心流門人名左側

神職藤城家を「フジシロ」と読む郷土誌もあり、飽富神社の不二心流奉額にも「藤代」とあるが、今の藤城(ふじき)宮司に伺ったところフジシロを名乗ったことは聞かず藤城=フジキであるそうだ。
【2016.10.26追記】神職藤城家とは別の、不二心流の技を継ぐ藤城家の存在も確認できた。こちらの藤城はフジシロとも読めるそうだ。この剣道家の藤城先生は鬼籍に入られ詳しい話しを聞くことは出来ないが、飽富神社の奉額については名前の一致からやはり神職藤城家の親子と思われる。

 

■宮川 熊野神社
千葉県神社庁規範神社。第九期神社本庁指定モデル神社。
祭神は伊弉册命(いざなぎのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと)、事解男命(ことさかのおのみこと)。
清和天皇貞観18年(876)に紀伊熊野本宮より勧請。社号は宮川入之領境宮。
朱雀天皇天慶2年(939)に平貞盛が社殿を建て、社領十八貫目寄付。熊野新宮大権現と改称し、武門の帰依崇拝を集めた。
明治2年(1869)に熊野神社と改称し、明治6年(1873)10月に近郷十八ヶ村惣鎮守として郷社に列する。
昭和54年(1979)12月25日に江戸後期から演じられてきた太々神楽が町無形文化財に指定。

所在地:千葉県山武郡横芝光町宮川2118

参考図書等
・『千葉県匝瑳郡誌
他、碑文や案内板、宮司のお話

■■不二心流と木更津「島屋」■■