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韮山反射炉の記念建立物等

韮山反射炉の現在の敷地内にあるもの

青銅製二十九拇臼砲 青銅製二十九拇臼砲

青銅製二十九拇臼砲
臼砲(モルチール砲)は45度の角度で砲弾を射出し城壁などの上を越えて攻撃する砲口装填式の滑空砲。
拇(ドイム)は、昔のオランダの長さの単位で幕末頃はcmと同じ。
反射炉築造前に三分の一サイズの反射炉を江川邸に作り、寺の壊れた釣鐘を溶かして試作
碑の右側の臼砲に「伊豆韮山長谷川刑部秋貞造」と銘。

20ドイムモルチール砲 20ドイムモルチール砲口

青銅製20ドイムモルチール砲
室内展示の臼砲。説明文によると、反射炉で鋳造されたと思われ、この2門は外形寸法に差があり別の鋳型で鋳造されたようだ。

鋳鉄製24ポンドカノン砲 鋳鉄製24ポンドカノン砲口

鋳鉄製24ポンドカノン砲のモニュメント
二十四听加農砲は、韮山反射炉で最も多く鋳造されたと考えられている大砲。
全長は3.502mで重さは3.5tある。
このモニュメントは江川家家臣の長沢家に遺る古図を元に清水町の木村鋳造所が複製した。
くろがねの色!

 

反射炉碑 反射鑪詩碑

反射鑪碑反射鑪詩碑
「元帥陸軍大将大勲位功二級戴仁親王(ことひとしんのう)篆額(てんがく)」
反射鑪碑の上額は戴仁親王による題字と、韮山反射炉と江川家についての碑文。

江川坦庵像 片岡春吉翁胸像

江川坦庵公像片岡春吉翁胸像
江川坦庵は有事の兵の糧食・保存用のパンを広め「パン祖」とされ
この片岡春吉氏は日本製パンの功労者として、胸像が建てられた。

大正11年(1922)沼津市に「富士家製パン」創業。
春吉は横浜フランスパン店のフランス系技術を習い、石窯を使ったパンを焼いた。
大正15年(1926)から菓子パン、昭和9年(1934)から食パンを作り始めている。
創業から昭和18年(1943)までイースト種を使わずホップス種(酒種)を使用し続けた。
昭和17年(1942)2月に第二次世界大戦の食料統制下の製パン企業保護のため「静岡県東部製パン有限会社」設立。社長となる。
戦後も昭和24年(1949)に「静岡県食パン工業協同組合」の結成メンバーに加わる。
解散後に結成の「静岡県パン協同組合」にも連なる。

沼津市本郷町の「冨士家製パン所」がお弟子さんの引き継いだ後継のよう。
静岡県パン工業協同組合の照会文は「昭和初期から使い続けている日本で唯一と思われるレンガの窯でパンを焼いています。昔から変わらぬあきのこない味を守り続ける事にこだわりを持っています」とのこと。給食用のパンも作っている、地元に愛されているパン屋さんだ。

・沼津の冨士家パン http://fujiyapan1926.blog.fc2.com/

 

韮山古川 韮山反射炉周辺の案内板

古川の流れと砲弾型?の欄干
幕末の洋式砲弾にしてはくびれて細長すぎる、まるで徹甲弾…。砲弾色々ってスタンスかな?
付近は茶畑やホタル自生地がある。

■■韮山代官江川家と担庵■■

江川邸と韮山代官所

江川邸枡形 江川邸案内板

重要文化財指定の江川家住宅の敷地は11873㎡もある。
右写真は城郭の虎口にあたる枡形。江川邸では代官が外出する際にここで人員を揃え、幕末には農兵の訓練場に使われたという。
農兵の軍事調練に用いられた「右向け、右」「気をつけ、前へならえ」などの鋭音号令は、オランダ式の号令を江川英龍(担庵)が翻訳させ、日本人に分かりやすいよう工夫したもの。

江川邸表門 主屋玄関ときささげ

表門主屋玄関
表門は元禄9年(1696)建築、文政6年(1823)修復の薬医(やくい)門。
主屋は552㎡あり桁行13間(約24m)梁間10間(約18m)棟高約12m。室町時代創建部分と江戸時代初期修築部分が含まれる。近年銅板に葺替えられる前は瓦葺屋根だった。
手前に北条早雲が植えた伝承もある豇豆(きささげ)の古木。

韮山屋敷鳥瞰図 韮山代官役所跡

江戸末期の江川邸役所跡
韮山屋敷鳥瞰図」は明治期に家臣の前田甲龍が万延元年頃の様子を回想して描いた図。
主屋北側辺りに韮山代官所の役人が政務した茅葺平屋の建物が在った。現在は梅林になっている。
他にも江川邸周辺には役人達の住む長屋や番人小屋、厩、牢屋など様々な建物があり、韮山代官役所として一体的に機能していた。

維新後も明治元年(1868)6月29日~4年11月の廃藩置県までは韮山県の県庁舎、9年の足柄県廃止まで足柄県韮山支所、12年まで静岡県韮山支庁舎として地方行政を担った。
官舎のあった場所は現在郷土資料館と民家になっている。

主屋へ 江川邸主屋土間の中

▲主屋の土間
土間(どま)は50坪程の広さがあり、天井板が張られていないため主屋の大屋根を支える豪壮な架構(かこう、小屋組)が見上げられる。高い位置に棟札箱が置かれている。

主屋土間の生き柱 ボートホーウィッスル砲車

東側の生き柱は地中深くまで続いており、江川家の移住時から生えていたケヤキの木をそのまま柱として利用されたと考えられ長年大切にされた。敷台に室町時代の掘立柱と判明した柱根が展示されている。
竈の横に幕府に献上された「ペリーの大砲」アメリカ製のボートホーウィッスル砲車(上陸舟艇用の小型砲車)と砲弾が展示されている。砲身は複製。

江川邸の塾の間 担庵の忍の字

塾の間と坦庵の座右の銘「
江川邸主屋土間側東北の18畳の部屋(玄関右手)が英龍の「韮山塾」と呼ばれた「塾の間」で江戸の江川塾を含めた生名簿もある。
江川塾には佐久間象山英敏の代には大山巖、黒田清隆ほか多くの優秀な人材が集った。

坦庵の母久子は芳次郎(坦庵の少年時代)の優秀なあまりの血気盛んな性格を戒めいたが臨終に際して「忍」の一字を書いて与えられてからは坦庵の座右の銘としてこの一字を書いた紙を肌身離さず所持した。

江川邸の蔵 江川邸武器庫

西蔵・南北の米蔵武器庫
西蔵は幕末頃の建築で四方の壁がわずかに内側に傾いた「四方ころび」という技法で造られている。正面から見ると将棋の駒のような形なので「駒蔵」とも呼ばれる。軒の屋根が瓦でなく伊豆石で葺かれているのも特徴的。

写真奥に並ぶ手前の南米蔵は明治25年(1892)隣の北米蔵は大正18年(1919)建造。
武器庫は幕末に造られ、火器や火薬の原料(硝石・硫黄・松ヤニ)等が保管された。

米蔵内は資料展示 韮山竹 木馬

▲南米蔵の展示品は民具や調度品が中心。
米蔵は展示スペースとなっており裏門側の郷土資料館(共通券あり)とあわせて多くの展示物が見学できる。木馬までありここに載せきれません。
千利休が園城寺(三井寺)の割れ鐘に見立てて作り豊臣秀吉に献上した花筒の「園城寺」が江川邸の竹を用いたことから韮山竹が著名になった。

1軍用銃 大筒と着発弾 木筒等

▲北米蔵は火器類の展示や反射炉や品川台場の資料解説等。
担庵は軍用銃の改良にも勤め、画期的な着発弾(着弾と同時に破裂する弾)なども開発した。
展示品としておなじみ韮山笠をはじめ、火縄銃、ゲベール銃、砲身螺旋切り台、木砲、大筒、その他野戦砲やモルチール砲の小型模型、砲弾、大砲鋳台道具等が並ぶ。

井戸 江川邸裏門

井戸裏門(北門)
江川氏は大和国宇野より酒造技術をもって韮山に到ったとされ、元禄年間(1688~1703)頃まで江川酒と呼ばれる銘酒を造っていた。
江川家15代英治が北条時頼に献じ、18代英住の子正秀が北条早雲より江川酒の名を賜ったと伝わる。
徳川家康が伊豆国での鷹狩りで献上された江川酒を賞美し、江川屋敷内の井戸む図が軽い味わいで酒に合うと褒め、自ら河原の野菊を下し家紋とせよと言ったことから、それませの「五三の桐二つ引紋」から「井桁菊紋」に改められたという。
井戸の向こうにパン租の碑。

裏門は古くは茅葺屋根で、文政6年(1823)建築だが門扉は更に古く天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで韮山城が包囲された際に砦の一つであった江川曲輪当時のもので、多数の穴はその時に受けた鉄砲玉や鏃の跡だとされる。

・韮山邸(史蹟韮山役所跡)所在地
静岡県伊豆の国市韮山韮山1番地
・重要文化財「江川家住宅」サイト:http://www.egawatei.com/

韮山城址の城池
▲韮山城址の城池

■■韮山代官江川家と担庵■■

福島県立博物館

旧石器時代から近代まで福島の歴史と郷土史料、昔の玩具や時代衣装など展示されています。
7/3まで企画展『2013年NHK大河ドラマ特別展「八重の桜」』開催。
内容は東京で行われたものと同じだそうです。

 

アームストロング砲 土齊武隊陣所〆切-

アームストロング砲の模型と斉武隊の落書付蔵戸
新政府軍が鶴ヶ城に数千発も放ったというアームストロング砲。
戊辰戦争中土佐藩に使われた蔵(現会津若松市馬場町)の戸に書かれた「土齊武隊陣所〆切 小荷駄方」

ミニエー銃とゲベール銃

ミニエー銃ゲベール銃の複製

十二封土砲弾とや大筒など

▲十二封土砲弾、銃弾、大筒など

 

福島県立博物館サイト:http://www.general-museum.fks.ed.jp/
所在地:福島県会津若松市城東町1-25(鶴ヶ城公園内にあります)

ここも常設展の一部はストロボ無しなら撮影可でした

骨董むかしや(会津新撰組記念館)

会津新撰組記念館

「骨董むかしや」の1階奥~2階に会津新撰組記念館として会津藩稲富流砲術家の館長さんが集めた幕末維新史料・古式鉄砲コレクションが多数展示されています。
大河ドラマ「八重の桜」の撮影にも、この記念館の実物資料や所蔵品から制作されたものが使われているそうです。

管打ち式ゲベール銃

管打ち式ゲベール銃
ライフルの無い滑腔銃。初期は燧石式だった。
山本八重(やまもとやえ。新島八重)はゲベール銃を用いて隣家の伊東悌次郎(白虎隊士として飯盛山で自刃)に操銃法を指導した。
山本覚馬(かくま)の愛銃はヨーロッパ製ゲベール銃(銀ゲベール)。

ウェストリーリチャーズ砲兵

▲イギリス製ウェストリー・リチャーズ砲兵銃
八重の桜では川崎尚之助(かわさきしょうのすけ)の新式銃。八重の弟山本三郎も鳥羽伏見の戦いでこの銃を使用し戦死。

エンフィールド銃とウィルソ

▲イギリス製エンフィールド銃(米沢藩の焼印あり)とウィルソン銃
エンフィールド銃は、八重の桜で京都会津藩本陣で覚馬の部下が使用。

後装式スナイドル銃とヤタガ

▲イギリス製1866年式スナイドル銃
八重の桜では薩摩藩大山弥助(巌)隊の鉄炮として使用。

スペンサー七連発騎兵銃 八重ブレークスリー弾薬箱

スペンサー七連発騎兵銃ブレークスリー弾薬箱
八重の愛銃と同じスペンサー銃。八重役の綾瀬はるかさんがドラマで使用するのもこの銃をもとに制作されたそうです

三百五十目玉大筒

▲江戸城備砲の三百五十目玉大筒
八重の桜では二本松藩木村砲兵塾所有の大砲として出演

 

骨董むかしやサイト:http://www.aizushinsengumi.com/
所在地:福島県会津若松市七日町6-7

いかにもな記念館名から想像つかないような古式銃が揃っているという下調べで、今回の会津来訪の大本命。蔵を利用した展示室は個人所蔵の小規模ながら期待通りに銃好きにとって嬉しい実物の洋式銃と火縄銃が並び、軍装品や絵図・書類等幕末維新資料館としても充実しています! 私が伺った時は撮影可でした