林忠英寄進の石燈籠-日枝神社

日枝神社の従五位下林肥後守源朝臣忠英寄進の石燈籠 日枝神社の林忠英寄進の石燈籠

▲従五位下林肥後守源朝臣忠英寄進の石燈籠

 奉献 石燈籠 一座
 武州東叡山
最樹院殿 尊前
 文政十丁亥年二月廿日
  林肥後守源忠英

最樹院は第11代将軍徳川家斉(いえなり)の父、治済(はるさだ/はるなり。御三卿一橋家)の法諡。
文政10年(1827)2月20日に治済が亡くなり、3月5日に江戸東叡山(東京都台東区上野の寛永寺)に葬られた。
そして将軍家斉の寵臣であった林忠英(上総国貝淵藩1万石の祖)が、この石燈篭を最樹院殿の宝前に寄進したのである。

文政12年(1829)9月には忠英は最樹院の贈官宝塔内の銅位牌を鋳直させ、鋳物師椎名伊予に金十五両を与えた記録があり、その後も幕府の葬事や法会等の事務を管理している。

その後戊辰戦争を経て更に近年の開発で徳川家の墓域が潰された折に、その場に在った石燈籠は払下げられ、各地の寺院に譲渡されることとなった。
奇遇にも、富津市大堀の明澄寺の本堂新築の工事担当の鈴木工務店(東京都)が寄贈しようと運んでいたなかに、林忠英に因むこの石燈篭が見つかったという。

昭和25年(1950)8月30日、ここ忠英ゆかりの地の貝渕日枝神社(現木更津市文京)に献納された。

石燈篭西に三日月 04石燈篭東に丸 05石燈籠の解説

▲中央に火袋、前2面に徳川将軍家の三つ葉葵紋、西に三日月、東に円の浮彫り
金文字を再現する意図よりも、見やすさを優先した塗料に思える(肉眼で見ると船舶関係で色々と塗料を目にしてきた私にはそう感じます)のが残念…もう少し金の色味を工夫出来なかったのかな

貝渕日枝神社山王宮の鳥居 貝渕日枝神社

▲山王宮の鳥居と日枝神社拝殿

所在地:千葉県木更津市文京六丁目10番16号 日枝神社境内