奉献 石燈籠 一基
東叡山
文恭院殿 尊前
天保十二辛丑年 閏正月晦日
従五位下林播磨守源忠旭
天保12年(1841)閏正月に逝去した十一代将軍德川家斉(文恭院)の霊廟に奉納するため、東叡山寛永寺へ諸大名が寄進した葵御紋入り灯籠の一基。
林忠旭は文政2年(1819)従五位下に叙されている。
なお、天保12年の4月に父である貝渕藩初代藩主林忠英が若年寄を免職され減封、7月に隠居し忠旭が家督を継いだ。
文政10年(1827)に忠英が一橋家の徳川治済(最樹院。家斉実父)尊前の石燈籠を寛永寺に奉献しており、払い下げを経て昭和25年に千葉県木更津市の貝渕日枝神社へ献納された。
この忠旭奉納石燈籠もまた、住職さんの話では檀家の庭に在ったもので、忠英奉納石燈籠と似た経緯で本誓寺に渡ったのだろう。
江東区HPにも昭和58年に檀家総代の方から奉納された旨が記載されている。4年後に区文化財に登録となった。
当知山重願院 本誓寺
江戸時代には浄土宗江戸四カ寺の一つといわれ朱印寺領30石を与えられた
文亀元年(1501)相州小田原で飯沼弘経寺第三世曜誉酉酉冏創建。本尊の阿弥陀如来は漁師が海でみつけ安置されたものという。
天正18年(1590)の戦災により江戸桜田に移る。
文禄4年(1595)八重洲海岸に移り寺地5773坪を領して再興し改めて開山とした。
慶長10年(1605)馬喰町へ移り水戸徳川頼房の養母英勝院が修築。朝鮮通信使の宿舎にもなった。
天和3年(1683)に現地に移転。関東大震災後に称名院を合併。
(参考『東京名所図絵』『江戸川区史』)
本誓寺所在地:東京都江東区清澄3丁目4-23