▲山中湖は古くから歴史や自然に恵まれ、湖畔には様々な碑がある(写真は奉納鯉の碑)
▲山中口留番所跡
山中口留番所は、甲斐、相模、駿河(現在の山梨、神奈川、静岡県)の国境に設けられた)番所です。
由来は古く、武田氏支配の時代に鎌倉往還の要所で塩入り道でもあったこの地に開かれたということですが、はっきりとした記録が残っているのは1704年(宝永元年)大山政右衛門が関主になった時からです。
大山氏はその後8代(166年)にわたり関主の職を世襲して勤めました。番書では武器(特に江戸への鉄砲の持ち込み)、出女(人質として江戸に生活させられた大名の妻子の逃亡)、持ち出しに代官所の許可が必要な木材や板割の運搬等を取り締まりました。
山中口留番所は箱根の関所に次いでの厳しさだったと言われ、ここを避けて相模の国から三国山、平野を経て忍野村に向かう人も多かったようです。そのため平野にも口留番所が設けられました。山中口留番所の敷石や大山氏が建てた万延元年の庚申塔が今も残り、地域では4ヵ月に一度、申の日に庚申講が開かれています。
(山中口留番所の案内板)