里山辺の御府社・御府古墳跡

御府古墳跡 御府古墳跡案内板

▲御府(みふ)・里山辺九号古墳跡
古くより「六郎墓」の伝承があり、明治41年に千鹿頭神社に合祀されるまで、独立社の「御府社」として祀られていた。

千鹿頭神社に合祀された林六郎はこの近辺の林郷の里長で、延暦年間(782~806)に雨宮藤原諸継と共に蓬莱山鶴ヶ峰に千鹿頭神(ちかとうのかみ。諏訪の守矢神の御子)を勧請したとされる。
※案内板では田村将軍利仁(坂上田村麻呂と鎮守府将軍藤原利仁がモチーフか)の副将軍・藤原緒継(おつぐ。征夷大将軍坂上田村麻呂の後を受けて陸奥按察使となった藤原緒嗣か)としている

横穴式・無石槨の円墳で、縄文中期の土器の欠片が多数出土しているが出土品の時代差が大きく年代特定が困難だが、総じて6世紀中期頃と推定されている。
未確認ながら近くから古い墓石の「七基の五輪塔が出土した」とも伝わっている。

また、林城跡と林小城跡の間の大嵩崎(おおずき)辺りに林六郎屋敷跡がある。