▲逸見愛作寿碑(へんみあいさく じゅひ)
発起人に請西藩士檜山省吾やその息子田嶋小彌太の名もある
江戸時代から続く剣術甲源一刀流(こうげんいっとうりゅう)は逸見太四郎義年(1747~1828)が甲源(逸見家の祖甲斐源氏に由る)を名付け創始した一刀流の一派。
薄村小沢口(こさわぐち。小鹿野町両神薄)に道場「燿武館」を建て、隆盛時は全国から多くの門弟が集い、様々な時代小説に甲源一刀流の剣豪が登場している。
逸見家29世の逸見愛作は、村民から「小沢口の先生」と呼ばれ慕われた。
明治33年(1900)に門弟らが逸見愛作の還暦を記念して寿碑を建立した。篆額は文部大臣榎本武揚(えのもとたけあき)の筆、書と撰文は雨宮春譚(しゅんたん。寄居町の医師・教育者)。
4月26日の建碑式では門人約330名による記念試合も行われた。
■逸見愛作源英敦(へんみあいさくみなもとのひであつ)
天保12年(1841)4月21日に剣世五代太四郎長英の嫡男として生まれる。
江戸へ出て、逸見道場門下であった強矢良輔の道場等で修業を積んだ。
文久年間(1861~3)領主の上州岩鼻陣屋(高崎市岩鼻町)代官所の剣術指南役に若くして抜擢され、激動の時代に見合う厳しい指導をした。
明治9年の廃刀令後も小沢口で修練と教導に励み、薄村の戸長も務めた。
甲源一刀流は郷里の様々な神社に奉額を奉納し、明治28年には三千余人もの門人の名が書かれた巨大な奉納額を東京の靖国神社に納め盛大な奉納試合が行われた。
この奉納額は大きさもさることながら豪華な彫刻が施され、数千の門弟の確認も手間がかかり奉納日が延期したほどだった。
大正13年10月2日没。享年84歳。甲源院敦武雄居士。
甲源一刀流逸見愛作寿碑(小鹿野町指定史跡)
所在地:埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄
参考
・逸見光治『甲斐源氏 甲源一刀流逸見家』
他、甲源一刀流資料館でのお話や展示物