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戦国里見氏中心の記事

八重の桜ロケ地-上総の古戦場・三舟山

先月、上総地区の三舟山周辺で大河ドラマ「八重の桜」のロケが行われ、山本八重役の綾瀬はるかさんや川崎尚之助役の長谷川博己さんが撮影に来られたそうです。
今回のロケは明日4/28「長崎からの贈り物」と次週5/5「尚之助との旅」に放送予定とのこと。
広報きみつ掲載の写真では、第十八回タイトルの「尚之助との旅」のシーンに見えますね。

※三舟山の様子は君津市ホームページへ。広報きみつ(ロケ情報は平成25年4月号12面に記載)もDLできます。

 

三舟山と戦国の合戦
 千葉県富津市・君津市にある標高138.7mの三舟山(御船山)は、戦国時代の古戦場でもある。

 永禄5年(1562)北条氏康・武田晴信(信玄)の相甲軍が、前年上杉軍が奪取して岩槻城主太田資正の属城となっていた武蔵国松山城を攻め、資正は上杉輝虎(謙信)に救援を求めた。
 上杉は、安房・上総・下総半国・三浦四十余郷を切従えていた久留里城の里見義堯・義弘親子に参陣を促し(※松山城救援に向かったのは義堯でなく勝浦城主正木時忠の子等、諸説有)、永禄6年(1563)国府台(こうのだい。鴻台・鵠台)で北条軍と対峙した。第二次国府台合戦である。
 翌年の戦いを経て諸将多くの犠牲を出し撤退した里見氏は、小田原北条軍に下総・上総も万喜(まんぎ。上総国夷隅郡の万喜城は里見義堯と婚姻を結んだ土岐為頼ら土岐氏の城)方を奪われ、勝浦正木時忠(この戦い以前に死去している大多喜城主正木大膳亮時茂の弟)も離反してしまった。

 永禄10年(1567)2月20日、北条氏康の子氏政率いる三千余騎が小田原を出立して西上総に侵攻、翌21日佐貫着。
 三船山の下半分は岩山で一筋の細道がつづら折りに通る難所であり、陣地に適しているとみた北条軍は三船台に陣取った。
 佐貫城から里見義弘出陣、両軍激しく衝突するも後陣の戦となると急に里見方が引き返し、これを国府台の敗戦から臆病風に吹かれたか大多喜正木にも見捨てられたとみた北条方は一気に攻め入った。
 ここぞと岩かげから正木大膳亮(時茂養嗣子の正木憲時。時茂嫡男信茂は国府台合戦で戦死)率いる正木党が襲い北条方を斬り崩し、逃げ惑う北条兵を里見義弘らが待ち受ける。
 なかでも蓮沼に追い込まれた兵が多く討たれた。

 氏政は敗走、三船山合戦の勝利で国府台の恥辱を雪いだ里見氏は再び上総での勢力を挽回した。

三船山合戦古戦場
▲里見軍が布陣したという障子谷付近。正木軍はこの西の八幡の森に控えたとされる。

 
佐貫城址から望む
▲佐貫城址から北条軍の侵攻方面を撮影

 

 現在の三舟山には上総の四季と展望を楽しめる遊歩道「三舟山アメニティロード」が設置され「三舟山陣跡」案内もあります。
 後々千葉県の戦国史のページを作る折に改めて紹介予定です。

参考図書
・谷口研語『諸国の合戦争乱地図 東日本編
・川名登『すべてわかる戦国大名里見氏の歴史
・千野原靖方『国府台合戦を点検する』『房総里見水軍の研究
・稲田篤信『里見軍記・里見九代記・里見代々記