貝淵藩貝淵陣屋と林忠英

貝淵陣屋跡 貝淵陣屋案内板
▲住宅地に貝淵木更津県史蹟(市指定文化財)の石碑。

 

貝淵陣屋を置いた林忠英(はやし ただふさ。林家14代)
小笠原家の支流の林家は筑摩郡林郷を名字の地にした。戦国期に徳川に仕え、江戸時代に200石の旗本となる。

狩野探渕守真による貝渕藩主林忠英の肖像 ※木更津郷土資料館フライヤーより引用

明和2年(1765)4月29日、忠英(藤助)が武州で生まれる。父は林肥後守忠篤(藤五郎。浦賀奉行等務めた)、母は水野日向守勝前養女。
天明7年(1787)8月2日、家斉(豊千代。一橋家から将軍家の養子となり西丸に移住していた)に出仕していた忠英は11代将軍となった徳川家斉の小姓(御小納戸衆)を改めて務め寵愛を受けた。
寛政元年(1789)12月16日に従五位下出羽守、寛政4年(1792)12月12日に筑前守に改める。
寛政8年(1796)4月6日に父忠篤が病没(享年59)し、7月3日に忠英が32歳で跡目を相続し、12月9日に肥後守に改める。
寛政9年(1797)3月に小姓頭取となる。
文化元年(1804)11月1日、御小姓組番頭格。御側衆に加わる。
文化2年(1805)1月12日に呉服橋に屋敷を授受され、2月5日に移る。
6日、後室との間に次男忠旭(ただあきら。銈次郎)が生まれる。8月、長男の忠起が21歳で病死。
文化10年(1813)忠旭を跡取りとする届け出が認められる。12月24日、千石加賜され4千石に。

文政5年(1822)3月28日に3千石が加増され、7千石に。上総国望陀郡(千葉県木更津市)貝淵村が領地になる。
文政8年(1825)4月23日に60歳で若年寄に進み、3千石が加増され前封と合わせて1万石を領して諸侯に列した。御奥御用兼。5月6日将軍の詣山に従行。
以降若年寄として忠英の名で酒造・金銭流通・土地や作物の売買等の制限など倹約の公布出し、勤労者への褒賞がみられる。
伝聞の類で奢侈な侫人の一派とされるのは、後の倹約時代とは対照的な時代にこのような仕事柄…同じ西丸派の水野美濃守忠篤も御側御用取次で賄賂が想像し易い内外の接触が多い…為でもあるかもしれない。資料を見る限りでは忠英は職人や役人の働きに応じて彼らに報奨を与え、浪費どころか引き締めが必要な際には倹約も発布しているのである。

この年、地方役所を置くために貝淵村の狭間、浜田に七反八畝廿歩の敷地を買い上げ、翌年に起功。
平坦な田畑の中間に土砂を堆積し、およそ1500~2500坪の丘続きに土堤を廻らし、堤の上に松を植え、中に殿舎を設けた。

文政9年(1826)貝淵陣屋が成る。(『鈴木家文書』では文政8年9月。役所設置時か)陣屋が出来ると貝淵村には家や店が立ち並んで栄えたという。
11月18日徳川家の嘉例再開を願い「兎御献上之儀留」を提出。

天保5年(1834)12月20日に3千石を加増され1万3千石となる。
天保8年(1837)4月2日、家斉が家慶に将軍職を譲り西丸に隠居するが、実権は大御所となった家斉が握っていた。
天保9年(1838)西丸普請。
天保10年(1839)3月18日に前年の西丸普請の勤を労わり5千石を加増され1万8千石となる。
この頃に伊能惣右衛門由虎(一雲斎)が仕え、忠英に宝蔵院流槍術愛洲陰流剣術を指南したという。

天保12年(1841)閏正月晦日に大御所家斉が69歳で亡くなり、4月16日に若年寄を免職され8千石も削られてしまった。
7月29日に次男忠旭に家督を継がせての隠居を命じられる。
華やかな大御所時代から一転して、幕政建て直しのため厳しい倹約を主とした改革を進める老中水野越前守忠邦の主導であったため、忠邦ら本丸派が家斉の寵臣であった忠英ら西丸派を疎んでの粛清であるともいわれ、落首や狂言で風刺された。
剃髪後は擽叟と名を改める。

天保13年(1842)8月に貝渕陣屋に長屋増設。
弘化2年(1845)5月8日、81歳で病没。義芳院英擽叟大居士。愛宕下の青松寺(東京都。林家菩提寺)に葬られた。

 

請西藩
忠英次男の播磨守忠旭が領地を継ぎ、武蔵上野で1万石を領した。
嘉永3年(1859)11月23日、忠旭は陣屋を貝淵から東の請西間船台に移し真武根陣屋とした。

 

桜井藩
明治元年(1868)請西藩主林忠崇が脱藩して抗戦派の旧幕府軍に加勢したため藩地を没収される。
7月13日、徳川家達(いえさと)の駿河移転により、駿河小島(おじま)藩主の滝脇信敏(たきわきのぶとし。丹後守。維新前は松平姓)が上総に転封。
周准郡金ヶ崎(八重原村南子安/君津市)に金ヶ崎藩を称したが、不便な土地であったため、貝淵陣屋の場所に藩庁を移す。
翌月、士卒100人程の邸宅を設けた隣の桜井村から名を取って、桜井藩と称した。

明治4年(1871)の廃藩置県で廃藩。
11月14日の再編で木更津県旧桜井藩邸を庁舎に選擇寺を官舎に発足。
明治6年6月2日に木更津県が廃止され、千葉町に県庁を置く千葉県が誕生した。
その後この地に監獄署が置かれたが、それも後に廃された。

 

貝淵陣屋跡地 大楠

貝淵木更津県史蹟
所在地:千葉県木更津市貝淵

参考図書
・『木更津市史
・君津郡教育会『君津郡誌』他

※他、林家関連の資料は別途まとめる予定です。