▲駒木戸関所案内版
駒木戸関所は鶴沢(立沢)関とも呼ばれた。黒駒の関とする案内もある。
▲案内板より先にある駒木戸口留番所跡と目下に流れる川
江戸時代に駒木戸(立沢)には口留番所と呼ばれる関所がありました。
甲州には二五か所の口留番所があり、信濃境・駿河境や江戸へ近い上之原などは、侍身分の役人が取締っていました。駒木戸では上番(名主)下番(平百姓)が駐在し通行手形など厳しく取り調べました。この番所は平屋茅葺で二間半・四間の建物で役務室と控え室の二部屋からなり、外周りの矢来は栗材で高さ六尺(役百八〇糎)、東側三間・西側二間で囲まれていました。
通行手形を持たない者とか不法狼藉をはたらく者に備えて、刺股・袖がらみ・突棒なども用意されていました。鎌倉街道に沿った駒木戸の集落の東側で、金川と立沢川の交差する付近に口留番所はありましたが、水害の延宝二年(一六七四)には、称願寺の前に移動したこともあります。今も関所があったことから関元とか、関下などの地名が残されています。跡地はこの四〇〇米です。
(駒木戸の口留番所案内板)
所在地:山梨県東八代郡御坂町内