林郷の兎田旧蹟碑

兎田旧蹟碑 兎田案内板

兔田舊蹟碑
江戸時代、徳川将軍家の正月元旦に出す兎の吸物の由縁、林藤助(とうすけ)が兎を得たという信州松本領内の廣澤寺門前、寺所有の5、6反程の田地を兎田(うさぎだ)と称して租税を免じられていたという。

明治8年に林村が里山辺村(現松本市里山辺)に編入される前まで「筑摩県筑摩郡林村[字]兎田」として兎田という小字が存在した。

筑摩郡古跡名勝絵図
▲古い絵図にも兔田が描かれている。

 徳川氏の始祖、松平有親・親氏父子がまだ世良田を名乗っていたころ、諸国放浪の途、この近辺に居を構えていた旧知の林藤助光政(小笠原清宗の次男)を頼ったのは、暮れも押し迫った雪の降りしきる寒い日であった。
 何をもてなすものとて無い藤助は、野に出てこの近辺の林でようやく一羽の野兎を見つけ、首尾よく捕まえて馳走したところ、父子は甚く感動して帰路についた。

 その後、家康の代に幕府を開くにおよび、「これはかの兎のお蔭」と正月に諸侯にお吸物を振舞うことを幕府の吉例にしたという。
 『林』の姓も徳川氏から賜ったものという。
 江戸時代この地は「免田」(めんでん)として税を免除されていた。

 徳川家年中行事歌合わせに、「をりにあえば 千代の例えとなりにけり 雪の林に得たる兎も」とある。
 林家は『松平安祥七譜代』の最古参家である。 (「兎田」案内板)

 林家の家紋「左三巴下一文字」。徳川氏より賜ったもので、「正月並み居る諸侯の中で一番にお杯を頂戴する家柄を表す」という。
 請西藩(千葉県)の地元では「一文字侯」と呼ばれていた。 (案内板上部の家紋の説明)

旧兎田渡橋 里山辺林郷兎田の山々
▲復旧した旧兎田渡橋と、寺山を背にした兎田
古跡として兎田と共に「兔橋」が記されている史料もある。
兎田旧跡碑の遠景左手前に林小城の城山、奥(東方)に林大城(金華城)のある東城山。

■旧請西藩主林忠崇の来訪
明治時代に林忠崇侯が林家ゆかりの信州を訪れ「里山辺村の八景」歌を詠んでいる。
兎田暮雪
 さやけくも昔を今に照らしけり 袖に露よふ城山の月

 

また、長野県では松本一本ねぎを兎の吸物に因む葱として紹介している。