▲中村一心斎供養碑
不二心流開祖の中村一心斎が嘉永7年(1854)10月3日赤荻村(千葉県成田市)で没し善福寺に葬った後、一心斎が剣を教えた西小笹村(匝瑳市)地蔵院と木更津村(木更津市)成就寺に分骨し大河内家を中心に門人達が葬儀を行った。
慶応2年(1866)10月不二心流二世の大河内縫殿三郎(幸安)親族と門人達の連名で一心斎の供養碑が建立された。
地蔵院は大河内家祖先伊藤河内守為安の白い愛馬を祀った伊藤(大河内)家縁の堂宇である。
妙はその子に譲られすつき穂かな
中村一心斎肥之島原城之人也姓藤原字一知身長六尺二寸美髭三尺五寸清正公之後云々先生竹馬歳始學劒法不遊他技既而訪師于四方從問從學遂究諸流之淵原矣後来于東部入鈴木重明之門開教場於八町堀教育子弟二三千諸侯聞名重聘者多然而固辞不仕焉悠然貫適意其他周遊而欲貽術於天下以成言鍛錬之心忠孝旡二之志報國體旡窮之恩也北總漁村岩井石橋氏盡禮敬而迎先生吾兄弟共從事濤川氏向後氏又教育一日先生語曰剣法體用未得自然文政戌寅之夏登駿之富峰行氣断鹽穀食百草而禱祈一百日季秋二十六夜非睡非覺身心豁然有得焉夫吾心精一則天地心精一豈有二心哉於是新號不二心流爲師術之表吾兄弟事先生積年親猶子世故所得悉傳與因開鍛錬場而以教授千時安政甲寅十月二日卒埴生郡赤萩鵜澤氏行年七十又三也荼毘以葬此地謚淨念雲龍今當十三諱辰門人來會謀不朽亦欲後生不忘先生之得澤書大䊠于時慶応二年十月也
大河内幸安
同 芳安
同 安道
経年磨耗して判読し難いため『続日本武術神妙記』の「中村一心斎碑文」を引用した。
▲表面の大河内幸安らの署名部分。裏面に大勢の門人名が刻まれている。
表と同様に門人名も一部消えかかっていて確証はつかめないが、大河内総三郎(不二心流三世・幸経)と阿三郎(不二心流四世・安吉)の名にも読める。
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上記の日本武術神妙記が今年、正・続編を併せて安価で読み易くした(ここで引用した碑文の旧字も現代語に置き換えられている)文庫本が出版された。中村一心斎や他剣豪の言い伝えが纏められているのでお勧めしたい。
著者の中里介山(なかざとかいざん)は、甲源一刀流の巻で中村一心斎が登場する小説『大菩薩峠』の作者でもある。
角川ソフィア文庫『日本武術神妙記』中里介山著
■■不二心流と木更津「島屋」■■