韮山反射炉の現在の敷地内にあるもの
▲青銅製二十九拇臼砲
臼砲(モルチール砲)は45度の角度で砲弾を射出し城壁などの上を越えて攻撃する砲口装填式の滑空砲。
拇(ドイム)は、昔のオランダの長さの単位で幕末頃はcmと同じ。
反射炉築造前に三分の一サイズの反射炉を江川邸に作り、寺の壊れた釣鐘を溶かして試作
碑の右側の臼砲に「伊豆韮山長谷川刑部秋貞造」と銘。
▲青銅製20ドイムモルチール砲
室内展示の臼砲。説明文によると、反射炉で鋳造されたと思われ、この2門は外形寸法に差があり別の鋳型で鋳造されたようだ。
▲鋳鉄製24ポンドカノン砲のモニュメント
二十四听加農砲は、韮山反射炉で最も多く鋳造されたと考えられている大砲。
全長は3.502mで重さは3.5tある。
このモニュメントは江川家家臣の長沢家に遺る古図を元に清水町の木村鋳造所が複製した。
くろがねの色!
▲反射鑪碑と反射鑪詩碑
「元帥陸軍大将大勲位功二級戴仁親王(ことひとしんのう)篆額(てんがく)」
反射鑪碑の上額は戴仁親王による題字と、韮山反射炉と江川家についての碑文。
▲江川坦庵公像と片岡春吉翁胸像
江川坦庵は有事の兵の糧食・保存用のパンを広め「パン祖」とされ
この片岡春吉氏は日本製パンの功労者として、胸像が建てられた。
大正11年(1922)沼津市に「富士家製パン」創業。
春吉は横浜フランスパン店のフランス系技術を習い、石窯を使ったパンを焼いた。
大正15年(1926)から菓子パン、昭和9年(1934)から食パンを作り始めている。
創業から昭和18年(1943)までイースト種を使わずホップス種(酒種)を使用し続けた。
昭和17年(1942)2月に第二次世界大戦の食料統制下の製パン企業保護のため「静岡県東部製パン有限会社」設立。社長となる。
戦後も昭和24年(1949)に「静岡県食パン工業協同組合」の結成メンバーに加わる。
解散後に結成の「静岡県パン協同組合」にも連なる。
沼津市本郷町の「冨士家製パン所」がお弟子さんの引き継いだ後継のよう。
静岡県パン工業協同組合の照会文は「昭和初期から使い続けている日本で唯一と思われるレンガの窯でパンを焼いています。昔から変わらぬあきのこない味を守り続ける事にこだわりを持っています」とのこと。給食用のパンも作っている、地元に愛されているパン屋さんだ。
・沼津の冨士家パン http://fujiyapan1926.blog.fc2.com/
▲古川の流れと砲弾型?の欄干
幕末の洋式砲弾にしてはくびれて細長すぎる、まるで徹甲弾…。砲弾色々ってスタンスかな?
付近は茶畑やホタル自生地がある。
■■韮山代官江川家と担庵■■