横田地蔵堂「義商喜平治之墓」

義商喜平治之墓 喜平次墓碑

▲義商喜平治之墓・喜平次墓碑

官軍の間諜として、義軍を称する貫義隊を探り横田村(袖ケ浦市横田)で命を落とした三河屋喜平次こと仁呑喜平次の胴体が埋葬されている地にある墓碑です。
慶応4年(1868)6月4日に貫義隊に小坪(おつぼ)の小櫃川の畔で斬り捨てられ、村人が地蔵堂へ運んで埋めて土を盛った墓とし、後に明治政府の役人が「義商」としてこの碑を建てました。
碑文は明治2年(1869)正月に県令附属中野光実の撰文と刻まれています。

当時の場所のままなら、この碑の付近に貫義隊の浅野作造頼房の胴体も埋まっていると思われます。
喜平次の埋葬地に松の木を植えたと伝わりますが、現在それらしい松はありませんでした。

 

義商喜平治之墓 所在地:千葉県袖ケ浦市横田