▲宗祖藤原元祖伊藤名主源仁右衛門茂平郷造之碑
歌会妙福寺は小見川銚子と交流あり奥の院は天領地大田村の寄贈なり 初代松風庵は水戸の家臣蕪里の人大国隆正や高崎様守役平手剣客らは宮本村や小笹にて剣や歌を教る左内らは剣の師事つく玄庵は長谷村の人水戸藩出入医者なり 二百年に渡歌会も天領により事無送た 片貝騒動は各藩挙兵集備中幕府に鎮圧さるも千人余は追捕まぬがる 後世記 進書 當村名主伊藤家乃傳説也
西小笹妙福寺にある名主伊藤(新兵衛)家の墓域に建つ由来碑。
当地が糀屋村と呼ばれた経緯や1490年の匝瑳合戦で水夫として恩賞を得た祖先弥右衛門・弥左衛門、江戸中期の名主伊藤仁右衛門茂平らの功績を刻む。
上州高崎藩の飛地で、高崎は元将軍家隠居城なので高崎水戸阿波の三者にて談合し藩奨励の藍葉作り九十九里一の産地として栄ええたことや、幕末まで続けた妙福寺の歌会など歴史を窺える。
同じ西小笹で藍商を営んでいた同族伊藤家である大河内氏と、剣客中村一心斎についても
中村一心斎なる剣豪が小笹実蔵院にて阿波剣豪と真剣勝負をなす 立会人当地親分伊藤弥左衛門 一心斎は身の丈七尺顎鬚一尺にて二声三声で阿波方降伏する 一党は木更津にひきあくる 一心斎は当村大河内氏を共に木更津に行木更津の寺院で水戸藩の剣豪に一戰申入る 大河内氏は木更津初代の市長となる
と記されている。初代市長のくだりは、成就寺中村一心斎供養塔に名がある「大河内孫左衛門」の孫の伊藤勇吉氏(木更津町長)のことであろう。
▲真言宗智山派妙福寺
妙福寺所在地:千葉県匝瑳市西小笹1352-1
■■不二心流と木更津「島屋」■■