▲「鏡が浦」と呼ばれるほど平らかな館山の海
慶応4年(1868)安房(千葉県)館山(たてやま)湾上に榎本武揚率いる幕府軍艦が停泊していた。
閏4月10日、林忠崇らと遊撃隊は柏崎(館山市沼)から三百石積と二百石積の2艘の和船に分乗し、幕艦大江丸に引航されて渡海する。
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▲山で包むような入り江の真鶴港
忠崇一行は閏4月12日に相模(神奈川県)の真鶴(まなづる)港から上陸した。
真鶴は古くは真名鶴と書き、東西の崎は鶴の翼、中央の崎は鶴の首に似ていると風土記に記されている。
鎌倉時代の吾妻鏡には治承4年8月の石橋山の役で源頼朝が敗走し28日に真鶴から房州へ渡ったとする。
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▲根府川~江野浦
小田原への中継地として忠崇の使者が往復する。兵は江野浦に駐屯させた。
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▲小田原城
小田原藩に佐幕としての協力の交渉を試みるが…