三島から河口へ

慶応4年(1868)閏4月16日の午前、請西藩藩主林忠崇伊庭八郎人見勝太郎旧幕府遊撃隊ら一行は韮山(静岡県伊豆の国市市)を出発。
甲府を窺うため三島(静岡県三島市)を経て深夜に御殿場(ごてんば。静岡県御殿場市)に着いた。

 三島から富士山までの展望図

三島宿の三嶋大社
右画像、山中(静岡県)からの展望図だと左手の三島から、右手の富士山が見える方向へ向かうこととなる

2御殿場と富士山 御殿場駅

▲現在の御殿場駅富士山口周辺と、箱根側(乙女口方向)

 

17日に、田安侯の使いとして山岡鉄太郎が説得に来訪。翌日忠崇は上意を新政府軍の総督府に差出を依頼し、甲府(山梨県甲府市)で10日再命を待つと取り決めた。
19日に御殿場を出発。巣走(須走。静岡県駿東郡)、山中(山梨県南都留郡)吉田(山梨県富士吉田市)等を過ぎ川口(山梨県南都留郡)に宿陣する。
須走 吉田

▲一行は須走(写真左)から山中を経て吉田(写真右)まで北上する

河口湖駅 河口湖と富士山

河口湖駅と河口湖。「川口村」は、現在の現在の富士河口湖町