善龍寺-西郷頼母一族墓所

善龍寺山門 善龍寺

▲祥雲山善龍寺(ぜんりゅうじ)・山門

善龍寺は保科家の元祖筑前守正則の霊を守る保科家の菩提所。
寛永20年(1643)曹洞宗一派の泉海という僧が会津藩祖保科正之の会津入部に従い花畑の地に建立し、寛文7年(1667)現在地に移る。
本堂は戊辰戦争で焼失したが竜宮造りの山門は寛政9年(1797)に建造され今も面影を残している。

 

奈与竹の碑 奈与竹の碑案内

奈與竹の碑
西郷頼母の妻千重子の時世の歌
「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」
碑には戊辰戦争で殉じた233名の会津藩の婦人名が刻まれる。

 

西郷頼母近悳と妻千重子の墓 頼母と21人墓案内

西郷頼母夫妻の墓
頼母の西郷家は元々保科の流れ。保科家歴代墓所は初代正近、二代正長、十一代近悳と正室の墓が在る。
西郷頼母近悳(ちかのり)が生前から保科家墓所に用意した墓は先祖のどの墓よりも小さくその人柄が偲ばれる。
正面に「保科八握髯翁墓」「室飯沼千重子位」右側面に「近悳命日明治三十六年四月廿八日」がと刻まれている。

 

二十一人の墓 二十一人之墓案内板

二十一人之墓
慶応4年(1868)8月23日朝、西軍が鶴ヶ城下に突入した時、西郷邸で頼母の妻千重子を始め家族の全女子9人と親戚12人の西郷一族21人が集団自刃した。

 

祥雲山善龍寺
所在地:福島県会津若松市北青木13-33

他に会津藩士赤羽四郎、伴百悦の墓や会津五流祖(真天流 小山田伝四郎盛信・神道精武流 小笠原城之助長政・一刀流溝口派 池上丈左衛門安道・太子流 中林弥三左衛門尚堅・安光流 望月安光)や、一刀流溝口派剣術後継者の和田晋(井深宅右衛門の孫)の墓等在り。