天寧寺[2]近藤勇の墓

天寧寺 山道途中の看板

天寧寺(てんねいじ)

近藤勇の遺体は東京三鷹市の竜源寺に埋葬されたが首は京都の三条大橋下流に晒された。
途中の看板には首を何者かが持ち去りこの地に埋め墓を会津藩士が建立したらしいと、墓所の看板には土方歳三の手によって建立された首塚と語り継がれていると書かれている。
他に土方歳三が遺髪や遺体の一部、遺品等を仮埋葬したという説もある。

 

会津近藤勇の墓 近藤勇の墓案内板

近藤勇藤原正宜之墓
慶応四戊辰四月二十五日卒、丸に三つ引きの近藤家の家紋が彫られている。
戒名「貫天院殿純義誠忠大居士」は松平容保から授かった。

 

土方歳三の碑 近藤勇の辞世

土方歳三慰霊碑近藤勇辞世の句
近藤勇辞世の句は漢詩
孤軍援絶作囚俘 顧念君恩涙更流
一片丹衷能殉節 雎陽千古是吾儔
靡他今日復何言 取義捨生吾所尊
快受電光三尺劔 只將一死報君恩

萬松山天寧寺
所在地:福島県会津若松市東山町石山天寧208

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