▲白河小峰城(こみねじょう)祉公園
幕末の白河藩主阿部正外(まさとう)は幕府老中として外交問題を担当したが兵庫開港問題の責任を追及され老中免職。慶応3年(1867)棚倉へ国替えされ白河藩は消滅。
慶応4年(1868)2月、白河小峰城は新政府の命で仙台藩預かりとなり、奥羽鎮撫総督府下参謀の命で二本松他数藩の兵が駐屯していた。
閏4月20日朝、会津純義隊ら旧幕府軍が小峰城を急襲。奥羽越列藩同盟を組む段階にあった仙台藩の兵達は前日に須賀川に引きあげていて、他の残留兵も城に火を放ち立退いた。
22日山口次郎(二郎。斎藤一)率いる新撰組130人余が城下に着く。
▲三重櫓と震災被害で崩れたままの石垣
所在地:福島県白河市郭内1
■■伝習隊と新撰組■■