本丸の西に接する屋敷稲荷は最初、稲荷塚の墳丘上に鎮座していたが宝暦八(1758)年に第6代藩主保科正宜によって稲荷塚から今の場所に移された。
明治政府が明治39(1906)年12月に一町村一社を原則に神社を統廃合し数を減らす「神社合祀令」を発布し千葉県下でも実施され、明治44(1909)年4月20日に堰田の八坂神社を始め、7月17日の下飯野神明神社を最後として二年間に飯野村内の全ての神社を取り壊し、15社を合祀して社号を飯野神社とし新しく社殿を増営した。
▲正面の綺麗な拝殿は平成に入って新築されたもの。
案内板によると祭神は保食命、相殿神は建御名方命など。
食物神である保食命は豊穣をつかさどる稲荷神社の祭神、建御名方命は保科家のルーツである諏訪の神なので、近隣の諏訪宮を合祀したよりも先に相殿神として祀られていたのでしょうか。(機会が有れば調べてみます)
※保科家の家紋は「並九曜」と「梶の葉」であるが、梶の葉は保科氏が諏訪の神裔であることに由来するという。
諏訪神としての建御名方命は諏訪に移った際に諏訪湖の龍神を征した経緯があるが、護国のため龍神となる伝承もある。飯野陣屋のお濠の水が枯れないよう雨乞いのため竜神の舞を奉納するという伝統行事にも関わるのかもしれない。
▲こちらの額の飯墅(飯野)神社の社号はだいぶかすれている
▲庚申塔の三猿や明治初期の狛犬、御嶽三柱大神の神号碑等
石祠や石仏が集められている
飯野神社稲荷口稲荷神社と共に合祀された神社は、記念碑に「本丸の楠稲荷神社」「内小平田稲荷神社」「堰田の八坂神社」「森山の日吉神社・末社の厄神社」「神明山の神明神社・末社の佐田社・住吉社」「上五畝田の八坂神社」「北御堂谷の菅原神社」「鹿島の日吉神社」「本谷の八坂神社」「向谷の日吉神社」「上の宮日吉神社」「本村の神明神社」「百目木の日吉神社」「東内裏塚の珠名神社」とある。
祭神は、君津郡誌下巻の飯野神社の項目では、保食命(うけもちのかみ)、建御名方命(たけみなかたのみこと)、大國主神(おおくにぬしのかみ)、稚産靈命(わくむすびのみこと)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、迦具土神(かぐつちのかみ)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、誉田別尊(ほむたわけのみこと※応神天皇)、大己貴命(おおなむちのみこと) 、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、佐田彦命(さるたひこのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、菅原道真(すがわらのみちざね)公、聖神(ひじりのかみ)、末珠名(すえのたまな)とある。
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政令で一社にまとめたので仕方ないことですが、天津神も国津神も天神様もいっしょくたですね……
参考図書
・富津市教育委員会『富津市文化財ガイドブック』
・富津市史編さん委員会『富津市史』
・君津郡教育会『君津郡誌』