請西藩林家」カテゴリーアーカイブ

貝淵・請西藩藩主の林家に関する記事です。
最後の大名と言われる林忠崇については→請西藩主 林忠崇※年表

請西藩林家の兎の吸物に因む松本一本葱

長野県認定「信州の伝統野菜」の一つ、太くて根元が曲がったのが特徴の「松本一本ねぎ」は、江戸時代から江戸への信州土産として親しまれてきたそうです。
それも請西藩林家と献兎乃記念碑記事で紹介した「兎の吸物」にまつわる、正月の吉祥を意味する野菜として知られていたとか。(長野県HP参照)

新まつもと物語プロジェクト内『松本一本ねぎ』ページ(http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/food/?page_id=5043)で徳川家の先祖の有親(ありちか)親子を林藤助(はやしとうのすけ)がもてなした吉例として将軍家で正月に出す『兎の吸物といっしょに使われたのが、松本一本ねぎ』と、詳しく書かれています。

そば処吉邦の鴨南蛮蕎麦 そば処吉邦使用の松本一本ねぎ

▲早速、松本市のそば処 吉邦 (きっぽう)さんで松本一本ねぎ入りの鴨南蛮蕎麦を食べてきました。
葱といえば鴨。なかなかお目にかかれない肉厚の鴨がさっぱりとした一本ねぎと合って、脂もほどよく熱を溜めて体が芯まで温まります。

葱に興味があることを示すと、店主さんが松本一本ねぎのあれこれをお話してくださいました。
なんと厨房用の一本ねぎも見せて貰えました! 特徴通りに曲がっていて、泥を落とした白い肌がとてもつややかで綺麗ですね。霜にうたれた寒い時期、今が食べごろとのこと。
美味しいお蕎麦とためになるお話をありがとうございました!

* * *

松本一本葱佃煮

松本から江戸……新宿へ帰る際のお土産には信州芽吹堂の『松本一本葱佃煮』を買いました。
青さ海苔との佃煮で、とってもご飯に合うんですよ~

信濃人の誇れる伝統の葱が、現代人にも広く伝わるといいですね。

甲府に向け黒駒へ

慶応4年(1868)閏4月19日、伊庭八郎の進言で、甲府城にの奥平・真田・水野等の兵達への対策として、遊撃隊の精鋭20人が難所の三坂峠を押さえた。
真田家の兵が黒駒まで来たが、三坂峠に請西藩林忠崇と旧幕府遊撃隊らの兵が既に陣取っていることを知り退却。

20日朝、忠崇一行は川口を出発。三坂峠を経て藤ノ木に進行。黒駒で逗留する。

御坂峠 御坂みち上黒駒

御坂峠を経て黒駒へ至る

 

5月に入り甲府へ軍を進めようとしたが、徳川家からの説得が伝わり、沼津表で10日を期限として命を待つことに同意した。

甲府城址 甲府城の発掘された石垣

甲府城址と発掘された石垣。忠崇らは甲府城を脅かさずに引き返した。

一行は5月2日から黒駒から道を南へ遡り、5日に沼津城下近くの香貫村に入る。

三島から河口へ

慶応4年(1868)閏4月16日の午前、請西藩藩主林忠崇伊庭八郎人見勝太郎旧幕府遊撃隊ら一行は韮山(静岡県伊豆の国市市)を出発。
甲府を窺うため三島(静岡県三島市)を経て深夜に御殿場(ごてんば。静岡県御殿場市)に着いた。

 三島から富士山までの展望図

三島宿の三嶋大社
右画像、山中(静岡県)からの展望図だと左手の三島から、右手の富士山が見える方向へ向かうこととなる

2御殿場と富士山 御殿場駅

▲現在の御殿場駅富士山口周辺と、箱根側(乙女口方向)

 

17日に、田安侯の使いとして山岡鉄太郎が説得に来訪。翌日忠崇は上意を新政府軍の総督府に差出を依頼し、甲府(山梨県甲府市)で10日再命を待つと取り決めた。
19日に御殿場を出発。巣走(須走。静岡県駿東郡)、山中(山梨県南都留郡)吉田(山梨県富士吉田市)等を過ぎ川口(山梨県南都留郡)に宿陣する。
須走 吉田

▲一行は須走(写真左)から山中を経て吉田(写真右)まで北上する

河口湖駅 河口湖と富士山

河口湖駅と河口湖。「川口村」は、現在の現在の富士河口湖町

龍溪寺-請西藩林家祖先累代の墓所

龍溪寺山門と本堂 請西藩林家祖先の墓域

龍溪寺と林家の墓所
四間の墓域の周囲にはかつて柵が在った。
林家系譜や寛政重修諸家譜等では林光政から数えて林家6代目忠政親子、7代吉忠、8代忠勝の墓所とされるが、龍渓寺には吉忠のみ埋葬されたと伝わっている。
貝渕藩請西藩の藩主となった林家の菩提寺は東京都の青松寺で、6~8代目の他は供養墓とみられる。
※幕末の請西藩主林忠崇は17代目

林吉忠(はやしよしただ)
藤四郎。元和元年(1615)5月7日に大坂夏の陣で29歳で戦死し、領地の殿辺田村(とのべた。義父忠政の隠居地ともされる)の従者が吉忠の首を持ち帰り龍渓寺に葬る。
【8/27:吉忠の説明文移動】→『請西藩林家祖先7代目林吉忠と大坂夏の陣

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林家の墓所の正面向かって右から

▼林忠晟(ただあきら。9代目忠隆の長子)の供養墓
實相圓光院の墓 實相圓光院 實相圓光院意
『實相圓光院殿』『天和二年 了悟日静居子 七月廿日』
※忠晟が部屋住で病死したため、林家は養子に出た横田家を継いでいた弟の忠朗(後に忠和)を呼び戻して継がせた

▼【十三代】林肥後守忠篤の供養墓
樹徳院の墓 樹徳院
『寛政八丙辰年 樹徳院殿従五位下 前肥州大守務参元滋大居士 三月廿七日』
※木造釈迦如来坐像(市指定文化財)の龍溪寺本尊は忠篤の寄進といわれる

▼【九代】林信濃守忠隆の供養墓
大享院墓 大享院 大享院の刻銘入りの燈籠
『元禄十丁丑年 大享院殿従五位下前信刕太守觸照遇光大居士 四月初九日』
※中央の一番大きな墓の為か郷土誌では吉忠の墓と紹介されているが、刻まれている内容は忠隆のもの

 

▼七代目吉忠の墓(左写真)と、隣(右写真)の實相院の墓
玄明院の墓 玄明院の意 實相院殿永寿日相大姉
【七代】林吉忠の墓
『元和元乙卯年 玄明院殿光山旧露大居士 五月七日』
意 旹元和元乙卯 三州住林藤四良□ 於大坂□死 光山旧露大居士 五月七日敬白
光山旧露大居士──三州に住む林藤四良(郎)が元和元年5月7日大坂で戦死した意が刻まれている。
京都伏見奉行として病死した16代忠交と同様に一心寺にも墓がある。

・實相院殿永寿日相大姉 延宝八庚申年三月廿八日
※吉忠の室という推測もされている

 

▼六代目忠政の墓(左写真)と、隣(右写真)の八代目忠勝の墓
忠政の墓 青山宗春の墓 青山宗春
【六代】林忠政の墓
『元和八年』圓明院月照道恕大居士 元和八年壬戌年四月十四日
※忠政は17歳で眼病を患い、領地の茂原郷殿辺村に道斎の名で隠居したとされる。この時、徳川家と林家の献兎賜盃の伝統が中断したようだ。従士の杉田七郎左衛門の介抱を受け59歳で没。

【八代】林忠勝の墓
『寛永十五戌虎年 □青山宗春居士 二月中旬二日』
※忠勝は父吉忠の討死の直後に生まれた。京都二条城守衛中に急死。常運院。

 

右側の並び
▼【十一代】林備後守忠勝の供養墓
仰樹院の墓 仰樹院の丸の内三頭左巴下に一文字家紋
『享保十七年 仰樹院殿前備州刺吏高嶽義堅大居士 九月』
※忠和の妹が嫁いだ溝口重時の次男。養子に入り林家を継ぐ。

▼【十代】林土佐守忠和の供養墓
普門院の墓 普門院
『宝永二乙酉年 普門院殿 前土州刺吏理観禪入居士 三月十有二日』
※初め忠朗(ただあきら)。長崎奉行、江戸町奉行(南町奉行)等務めた。法名は禪定

 

左側の並び
▼【十二代】林忠久の供養墓
紹隆院の墓 紹隆院 紹隆院の墓と家紋
『宝暦十三癸末年 紹隆院殿本嶽浄智大居士 十月廿有八月』

和尚 倒壊した古い墓石 崩れた墓石
・『文化七庚午年 圓寂達道謙周和尚覚霊 十二月十四日』
その他、右の並びに崩れた墓石もある。
郷土誌には6代目忠政の子藤蔵(慶長16年4月に17歳で没・桃雲金林居子)の墓もあるとされるが…

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龍溪寺総門 龍溪寺本堂 龍溪寺鐘楼堂
▲龍溪寺の門、本堂、鐘楼堂
安寧山龍溪寺(りゅうけいじ)
曹洞宗。大永元年(1521)8月28日、益芝明周和尚が開山。
その後に池和田城(市原市池和田)城主の多賀蔵人(戦国時代里見義弘に属した)が開基。

龍溪寺縁起の碑 龍溪寺本尊の解説 龍溪寺参道
▲縁起と本尊白衣観音の解説、厳かな参道

所在地:千葉県市原市石川1121-1

林忠英寄進の石燈籠-日枝神社

日枝神社の従五位下林肥後守源朝臣忠英寄進の石燈籠 日枝神社の林忠英寄進の石燈籠

▲従五位下林肥後守源朝臣忠英寄進の石燈籠

 奉献 石燈籠 一座
 武州東叡山
最樹院殿 尊前
 文政十丁亥年二月廿日
  林肥後守源忠英

最樹院は第11代将軍徳川家斉(いえなり)の父、治済(はるさだ/はるなり。御三卿一橋家)の法諡。
文政10年(1827)2月20日に治済が亡くなり、3月5日に江戸東叡山(東京都台東区上野の寛永寺)に葬られた。
そして将軍家斉の寵臣であった林忠英(上総国貝淵藩1万石の祖)が、この石燈篭を最樹院殿の宝前に寄進したのである。

文政12年(1829)9月には忠英は最樹院の贈官宝塔内の銅位牌を鋳直させ、鋳物師椎名伊予に金十五両を与えた記録があり、その後も幕府の葬事や法会等の事務を管理している。

その後戊辰戦争を経て更に近年の開発で徳川家の墓域が潰された折に、その場に在った石燈籠は払下げられ、各地の寺院に譲渡されることとなった。
奇遇にも、富津市大堀の明澄寺の本堂新築の工事担当の鈴木工務店(東京都)が寄贈しようと運んでいたなかに、林忠英に因むこの石燈篭が見つかったという。

昭和25年(1950)8月30日、ここ忠英ゆかりの地の貝渕日枝神社(現木更津市文京)に献納された。

石燈篭西に三日月 04石燈篭東に丸 05石燈籠の解説

▲中央に火袋、前2面に徳川将軍家の三つ葉葵紋、西に三日月、東に円の浮彫り

貝渕日枝神社山王宮の鳥居 貝渕日枝神社

▲山王宮の鳥居と日枝神社拝殿

所在地:千葉県木更津市文京六丁目10番16号 日枝神社境内