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5/16お問合せの返信

>M様(林忠崇の年表の資料について)

当サイトの林忠崇の記事は各藩の記録文書、従軍者の日記、宿場の宿帳等も参考にしていますが、他カテゴリーと合わせて古文献の数が多いため郷土資料リストは準備中となっています。個人の趣味のWEBページですので遅延につきましてはご容赦下さい。
また、年表も今後の記事の更新に合わせて追加・修正していくので完全ではございません。

M様が現時点でどの程度お調べになっているかにもよりますが、最近興味を持ったのでしたら、林勲著『上総国請西藩主一文字大名林侯家関係資料集』が林忠崇研究の入門書といえます。この資料集の引用元資料を順々にあたっていくのが良いと思います。
戊辰年の行動は林忠崇の『林昌之助戊辰出陣記』や家臣、遊撃隊士、岡崎藩士らの日記をベースに、東北諸藩や官軍側の記録で確認をとる流れです。
上記の資料集や近年再編集された従軍記など著作権が発生するものは当サイトの関連記事のいずれかの記事に1度は引用元として書名を記載しているはずですのでご確認下さい。

M様が既に林侯家関係資料集の引用元の大半の資料に目を通していて、当サイトの年表で分からない箇所があれば、どの部分かを具体的にお伝え下さい。

メッセージありがとうございました

サイトに関するお問合せは取り急ぎこちらで返信致します。

>H様
お問合せの保科正益の年表内、同行家臣74人小銃31挺携行…については
華族従五位保科正益差出『諸御達願伺及履歴取調書』に収録の
戊辰3月27日差出の嘆願書の別紙に、
同行の家臣全員の名簿や他の所持武器と共に記載されています。
※当サイトでは略年表につき省略しています

写真はおそらく一般書籍化されている全国大名肖像集のようなものにも載っていると思いますので、そちらを確認すると詳細に見ることが出来るかと。

数が多いため参考元古文献リスト化と記事への紐付けが先延ばしになったままで申し訳ありません。
H様の飯野藩についての調べものが捗れば幸いです。

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まだ未着の方は、もうしばらくお待ち下さい。

『週刊ビジュアル江戸三百藩』62号に請西藩

本日発売の『週刊ビジュアル江戸三百藩』第62号に請西藩関連の写真を提供しました。

全号集めると江戸時代の全315藩が網羅できるという分冊百科です。
第62号の「三百藩総覧」特集藩は土佐・浜松・請西・高岡・今尾・三春藩。
今号が初登場の請西藩が筆頭ページで、大まかな藩史、年代・人物記として林忠英(貝渕藩初代藩主)のこと、本号の年代記の締めとして林忠崇の出陣について触れています。
他、コラム形式で請西藩や陣屋のあった木更津にまつわる風土の歴史を紹介。

これまでに他藩との混合の雑誌で請西藩が紹介されるとしたら、真武根陣屋跡と林忠崇の出陣について触れる程度だったでしょうが、きちんと順を追って紹介する試みのようです。
ナンバリングが完了していないので、今後の再特集で忠旭忠交に軽く触れつつ忠崇メインの人物記が続くのでしょうか。
請西藩に興味がある読者として欲を言えば、忠旭の印旛沼古堀筋普請御用・忠交の伏見奉行でのこともたっぷり掘り下げてもらえたらと(このあたりは私ものんびりと調べ途中なので)次が楽しみです。

週刊なので、書店での購入はお早めに!

▼以下、当誌の内容を含む感想です

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請西藩の記事で松平親氏銅像写真をバーンと持ってくる雑誌はなかなかないですよ!
林家は徳川恩顧~と文字で書かれても、井伊・本多・酒井・榊原等の德川家康の側近達の印象が強いせいでイメージがわき難いところを、家康の祖先の時からの家臣なんだぞと分かりやすい誌面になっているのがさすがです。

そして「鼠小僧」のエピソード。鼠小僧次郎吉は義賊伝説が定着しているため、林忠英の侫人像を語る際に、他大名の盗難被害やその背景を伏せて「忠英は義賊の標的になった」と悪印象を付ける定番事件です。
忠英の経歴として扱うとなると次郎吉について伝説ではなくきちんとした資料を引き合いに一々解説しなければならないので、あえて別枠扱いにするものですが……この江戸三百藩ではきちんとフォローも入れて、かつ読みやすくまとめていて感心しました。

私の考えでは、次郎吉の行動範囲に貝渕藩邸があったからというそっけない前提から始まりますが、いずれこのブログでも書いてみたい題材です。

 

最後に個人的な蛇足。
市内に陣屋が存在した藩なので「木更津=請西藩」という図式で木更津市のことが色々紹介されてますね。木更津甚句は島屋の記事で子孫として名前をだした伊藤勇吉町長の奨励が再流行に一役かったそうです。
そして江戸時代の当地は実際は地区、時代ごとにそれぞれの領主がいました。
請西藩は主に貝渕・請西・桜井・太田・相里・烏田村を領しています。
かつての木更津村である現在の木更津駅周辺は飯野・館山藩領や幕府直轄領等経て幕末の頃は前橋藩松平家の領地でした。

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