▲常泉寺本堂と遊撃隊士供養塔(墓碑)
箱根町宮の下の常泉寺は天正年間、安藤(宇道)筑後の開基とされる曹洞宗の禅寺です。
山崎の戦後の掃討戦で堂ヶ島に追い込まれ、遊撃隊隊士10名が湯宿の近江屋に潜伏しました。
小田原藩兵に射殺された9名のうち、遺体の頭部は首級として見分され湯本早雲寺に葬られました。
そして胴体はここ常泉寺に埋葬されました。
その後、近江屋の経営者である近江屋半兵衛(本名は高木半兵衛)は、遊撃隊をかくまい切れなかったことを悔い、彼らを弔うために願主として常泉寺境内に供養塔(墓碑)を建立しました。
そして近江屋家代々の位牌にも、討死した9名の戒名と俗名と、生存者1名の俗名を刻んで供養したといいます。
明治元戊辰年五月廿八日
第二軍一番隊 遊撃隊士9名
・有曻意道居士 前田條三郎(隊長)
・碎玉頓妙考士 由井藤左衛門
・當誉烈信居士 内藤鐐吉
・徹心興劔居士 関敬治郎
・義諦剱才居士 関岡金次郎
・忠貞義周居士 小笠原正七郎
・圓融智鑑居士 市川元之丞
・剱烈明山居士 太田銚吉
・勇進夏山居士 松田集之助
常泉寺において生存者と伝わる1名
第二軍二番隊
・小林隼之輔(駿府藩士)
曹洞宗養食山常泉寺
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下289