▲笹塚観音堂と御手洗
旧観音堂から移設した欄間の竜の彫刻は文政年間(1818~29)安房国分村の後藤喜三郎義信の作
飯野藩主が建立したとの伝承があります。近年改築しました。
堂前に元禄四年(1691)に寄進した御手洗が在ります。表に飯野藩の重臣15名の氏名が列記してあり、この観音堂が飯野藩とかかわりがあったことは確かであると思われます。
元禄四年の四の字は亖と書いてあります(四は音が死に通ずるので、きらって亖または二をふたつ横に並べて書くことが行われました)
藩主が江戸城へ伺候する時は、大手橋を通り観音堂に拝礼して小糸川に出て船で江戸に上りました。堂前の道路は枡形になっていますが、万一の時に敵の隊列を乱し防禦する為です。
(飯野地域活性化推進協議会案内板より飯野藩関連の箇所を抜粋)
奉竒進
大須賀氏 定久
多田氏 政次
八田氏 勝長
大出氏 政長
鷲見氏 将重
樋口氏 吉任
松井氏 安利
越村氏 利久
澤田氏 種重
箕崎氏 之信
髙須氏 素仲(?)
澤田氏 種春
和氣氏 重尚
中根氏 宗清(?)
中西氏 吉勝
側面は隠れているが『富津市史』によると
上総国周淮郡笹塚観音堂 / 元禄四年辛末年九月十八日 敬□
とのこと(淮は異字)
当時の藩主は保科正賢(正祥)で元禄年間は大坂城加番、日光祭礼奉行に就き、この元禄4年(1691)には江戸城奥詰として江戸に在った。
そして飯野には先代保科正景が隠居しており、当地での神仏の信仰も厚かった。
飯野藩の家老職も勤めた大須賀三郎右衛門定久は、正景が再建した浄信寺の御手洗(手水鉢)も元禄9年に寄進している。
笹塚観音堂
所在地:千葉県富津市二間塚字北笹塚