▲松平太郎左衛門親氏像
松平郷は江戸幕府創始者德川家康の祖、松平氏の発祥の地とされ、松平氏館・松平城・大給城跡(大内町)と高月院の「松平氏遺跡」は国指定史蹟に指定されている。
館跡地に松平家代々の産湯の井戸、高月院に親氏・泰親の墓所がある。
松平氏は新田源氏の流れの世良田(せらた)氏の末裔という系譜は、徳川家の権威を高めるための後付と憶測もされているが、松平郷では「時宗の遊行僧・徳阿弥(とくあみ)が松平郷に入り、還俗して婿入りし松平太郎左衛門親氏を名乗った」とし、流浪前の経歴には殆ど触れていない。
松平郷園地には、領内の巡視をしている日常姿の親氏像が平成5年に建てられてシンボルとなっており、資料館の松平郷館には僧形の木像松平親氏座像(豊田市指定文化財)が展示されている。
■松平郷と松平親氏
松平の地は、後宇多天皇に仕えた公家の武士の在原信盛(ありわらののぶもり)・信重(のぶしげ)父子が足助庄「外下山郷」と呼ばれるこの地を領有し、京都から移って館を構えた時、周辺の野辺に松の木が生い茂る様子から家門の繁栄を思い「松平郷」に改称したという。※信盛は在原業平(なりひら)の19代後裔等、諸説ある。
遊行僧の徳阿弥は、父の長阿弥(ながあみ。有親/ありちか)、弟の祐阿弥(ゆうあみ。泰親/やすちか。息子とも)と共に信州を経て三河国に至り大浜の称名寺に住み、後に松平郷に入ったとされる。
初め西三河の坂井郷の五郎左衛門(後に酒井氏)の婿となるが嫁は子を生んで亡くなってしまったという話(『三河物語』等)もある。
永享元年(1429)徳阿弥は五郎左衛門との連歌の縁で松平郷の太郎左衛門信重と親しくなり、次女の水女姫と結ばれて信重の婿養子となった。
還俗し「松平太郎左衛門親氏」と名乗り、松平城(郷敷城)を本拠とし松平氏の初代となったという。
親氏の子の信広、信光(泰親の子とも)は泰親と共に三河平野に進出する為に岩津城を攻略したが、兄の信広は足に重傷を負い松平郷に留まり松平太郎左衛門家の祖となった。
信光は岩津城主となって西三河に勢力を拡大し、松平家は大給・安城・岡崎城へ侵攻し約180年の歳月を経て9代目の元康(家康)が德川に改め天下統一を果たした。
松平太郎左衛門家は石高442石の寄合旗本の身分であったが、徳川幕府からは将軍家と同じ「葵の紋所」を許され大名(万石以上)と同格の江戸城への登城と将軍御目見得を許された。
▲笠掛のかえでと見初めの井戸(七つ井戸)跡地
在原家の屋敷にあった七つの井戸の一つで、徳阿弥が寂静寺(今の高月院)を訪ねる道すがらこの楓に笠をかけてアヤメの花に見入っていた時、アヤメを摘んでいた水女姫が井戸の水に花を一輪を添えて差し出したことが二人の出会いであった。
井戸は昭和7年の水害の土砂で埋まってしまい、右は観光用に場所を移して再現したもの。
▲八幡神社松平東照宮拝殿と本殿
祭神:誉田別命(ほんだわけのみこと。八幡様と習合)・德川家康公・松平親氏公・天照大御神・須佐之男命他四神、屋敷神に市杵嶋姫命(いちきしまひめ。弁財天と習合)。
松平家の氏神として若宮八幡を奉り八幡宮と称し慶長16年(1613)に殿社(現在の奥宮)が造営された。
元和5年(1619)に松平太郎左衛門9代目の尚栄が駿河の久能山東照宮より家康公の御分霊を勧請して合祀して以降「松平の権現様」「松平の東照宮」と呼ばれるようになった。昭和40年に親氏公を合祀。
※古くは松平氏が屋敷の鬼門に祀っていたのを新たに大手口を正面として社殿を造営。本殿は山地を削平して建てられたが、渡廊、拝殿、饌所、篝火台、手洗水槽等は宅地内に建設された
▲手前に水濠、鳥居右手に松平館、作曲家松平信博氏の碑
鳥居前の道は領民が領主の在原氏・松平氏を地につく程頭を下げて拝み敬った様子から額擦り(ぬかずり)の道と呼ばれる。
かつての松平氏宅址は中桐と呼ばれる地に建てられ、八幡神社の西南に接近する東西80m、南北53mの広い宅地で南面西寄りに大手口があり、西と南の上と北側に土塀の名残がある。
慶長5年(1600)関ヶ原役後に松平太郎左衛門9代尚栄が塀や石垣を整備したという。
歌碑は松平太郎左衛門家の第20代目にあたる松平信博氏の代表作「侍ニッポン」の最初の一節が刻まれている。文は作詞の西條八十氏による。昭和33年7月建立。
▲天下池(龍池)、氷池跡
親氏が助けた小蛇が龍となって雨を降らせ、旱魃で干からびた天下の畑を潤したので、その蛇を神龍と崇めてた伝説のある「龍池」がこの天下池の辺りにあったとされる。
氷池は明治20年(1887)から製氷が始められ、池に氷を張らせて切り取り、山かげの氷室に保存し夏に岡崎方面に運んだが、昭和16年(1941)の太平洋戦争で中止となった。
▲桜馬場跡
桜馬場跡から高月院までは「松平郷園地」として整備され、遊歩道には歴史をイメージした室町塀や冠木門が設けられている。松平館の東南500mの三斗蒔にお城山(写真右手)がある。
所在地:愛知県豊田市松平町
参考資料
・松平親氏公顕彰会『松平氏とその史蹟』
・平野明夫『三河松平一族~徳川将軍家のルーツ』
・司馬遼太郎『街道を行く43 濃尾参州記』
・『松平村誌』
・鈴木健『東三河の史蹟めぐり』西三河の項
その他案内板・調査報告書・松平東照宮の由緒書等
関連サイト
松平郷:http://matsudairagou.jp/
松平観光協会:http://www.matudaira-sato.com/