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「八重の桜」第四回 妖霊星

「八重の桜」4井伊直弼

井伊直弼(榎木孝明さん)出ましたね! 白いイイにゃんこも登場、ドラマ後のミニ紀行も彦根で井伊ことずくし。
こういうキャラ嫌いじゃないです。むしろ井伊。

西郷吉之助役の吉川晃司さんはすっかり時代劇役ぶりが板についているし、八重と対照的なうら(長谷川京子さん)の演技も嫌味になっていない。
今週もストーリーが綺麗にまとまっていて面白かったです。

来週寅次郎こと吉田松陰(小栗旬さん)の「身はたとひ~」で再来週に桜田門外の変と思ったら、展開早くも来週収めちゃうのかな。
襲撃シーンで今後のの戦争描写の良し悪しが分かるかも。
自顕流がどう描かれるかが楽しみです。

「八重の桜」第三回 蹴散らして前へ

八重(綾瀬はるかさん)の兄、覚馬(西島秀俊さん)の性格ががっちり固まったと思えば、筋肉もがっちり固まっていた第三回の感想は「ネットさ覚馬の上半身画像、でっこら溢れかえるだなぁ」につきますが

萱野権兵衛「アバヨ!」

いわゆるオッサン世代には会津藩家老萱野権兵衛(柳沢慎吾さん)の登場で「アバヨ!」な最期が脳裏をよぎったことでしょう。

川崎尚之助(長谷川博己さん)の視聴者から見ての人柄の良さと、会津側から見たまれびととしてのトリッキーさが予想されて、今後の八重とのやりとりがますます楽しみです。

そして義姉に懐く敏姫(中西美帆)が愛らしい!
ドラマ側は照姫(稲森いずみさん)と松平容保(綾野剛さん)の信頼関係を強調して、敏姫を不安にさせる展開のようですが、可愛い敏姫を見守りたくなります。

江戸幕府の混乱も相まって、並行したいくつもの「ドラマ」がどれもインパクトを掴んだまま進んでいくので飽きさせませんね。

静廣院の墓と会津の照姫のこと

 会津藩最後の藩主松平容保の義姉であり鶴ヶ城(若松城)籠城に際して奮闘した照姫(熈)は、飯野藩主の娘である。
 母は淨信寺に墓が有る側室静広院。

静広院の墓

▲照姫の母静広院の墓
「明治三庚午歳 静廣院殿邦誉操謐大姉」

 

 照姫は飯野藩九代藩主保科正丕(まさもと)の三女照は、側室の静広院を母として天保3年(1832)12月13日に江戸藩邸で生まれた。

 天保13年(1842)5月25日に11歳で会津藩八代藩主松平容敬(かたたか)の養女となる。容敬の子が次々に夭折した為、美少女で教養の高い照姫を迎えたともいう。翌年、容敬に娘の敏子が誕生。

 嘉永2年、18歳の時に豊前中津藩(現在の大分県中津市)10万石八代藩主奥平大膳大夫昌服(まさもと。この時21歳)に嫁したが子宝に恵まれず不縁となり、弘化5年(1848)会津藩の江戸藩邸に帰る。
 敏子は美濃高須藩より銈之允(照姫の義弟、容保)を迎える。
 照姫は義姉として容保公を支えた。

 松平容保追討令が下され、照姫の実弟保科正益が継いだ飯野藩でも幕府と会津への義によって森要蔵などが脱藩し新政府軍と戦った。
 慶応4年(1868)照姫38歳の時、戊辰戦争の局面である会津戦争で鶴ヶ城籠城は8月23日から9月22日まで続いた。
 照姫は城内にあって六百有余の婦女子の指揮をとり、次々運び込まれる傷兵の手当・食料の調製・敵弾の防火処置など毅然として活躍し、女達は「照姫様のために」を合言葉に戦い続けた。

 鶴ヶ城開城式の後、容保公は滝沢村の妙国寺に謹慎、照姫もそれに従う。照姫は髪を落として照桂院と名を改めた。

荒れはてし 野寺のかねもつくづくと
身にしみ増さる 夜あらしの声

 翌明治2年(1869)2月19日東京へ向かい、3月10日東京着、青山の紀州藩邸(徳川茂承)に預けられた。
 新政府から会津藩への伝達・伝令は直接新政府からでなく、大方は飯野藩主保科正益を通じてなされていた。
 5月18日、会津藩叛逆の首謀者として家老萱野権兵衛一藩の責を負って飯野藩下屋敷で処刑された時に、照姫は次の歌を寄せた。

夢うつつ 思いも分ず惜しむぞよ
まことある名は 世に残れども

 12月3日、命によって照姫は飯野藩に預け替となり、27年ぶりに実家で起居することになった。
 しかし飯野で翌明治3年3月2日に母静廣院が亡くなる。

 照姫は明治17年(1884)2月28日、53歳で逗留先の東京牛込(旧会津藩家老山川邸)にて死去。新宿正受院に葬られる。

 

──と、まずは略歴。照姫や萱野権兵衛については今後も書いていくと思います。
ちなみに放送中の大河ドラマ『八重の桜』でのキャストは

照姫:稲森いずみさん
萱野権兵衛:柳沢慎吾さんです。