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飯野陣屋

飯野陣屋の碑 飯野陣屋濠跡

▲千葉県指定史跡 飯野陣屋濠跡の碑と濠跡

 上総国飯野藩の飯野陣屋は現在の富津市下飯野に在り、長州徳山陣屋、越前敦賀陣屋と共に日本三大陣屋の一つに数えられる。
 南北約280メートル、東西約350メートルあり、陣屋の内邸(うちやしき)面積は41000坪(東京ドーム3倍近い)で、外邸(周囲の藩士の邸宅)を合わせると71000坪(23ha)となる。
 通称本丸・二の丸・三の丸の三つの部分に分かれ、それぞれ溝と道路と一部土塁で区画されている。

 外濠の内側の高さ2mの土塁と巾5~6m・深さ約2m・内邸の周濠の総延長は約1.6km、総面積6620㎡の堀(濠跡は県指定史跡。上部は箱堀で底部はV字型の薬研堀)に囲まれている。南方中央部には折り歪(おりひずみ。折邪とも書く)という屈曲部があり、また東北部には逆乙字型という凸凹部がある。共に防衛的施設の形を残す。

飯野陣屋の枡形の濠 飯野陣屋の折邪

▲[左写真]東北部の枡形の凹凸、[右]南中央部の折邪

飯野陣屋の案内板 飯野陣屋周辺道路

 建物等は現存しないが濠と土塁、特に内邸を囲む外濠の保存状態は良く、地図で確認するとほぼ昔のままの地形が遺されている。
陣屋の構造の記事はこちら

 歴代藩主は大坂定番、日光祭礼奉行、江戸城門番などを勤め他地にあることが多く、飯野陣屋では常に代官2名、手代2名他を置いた。

 また内裏塚古墳(飯野陣屋の北西にある県内最大規模の古墳)の北東には飯野藩の茶園があった。

三条塚古墳

三条塚古墳三条塚古墳案内板

 三条塚古墳飯野神社の裏手に位置する前方後円墳で、墳丘長122m・後円部径57m・墳丘長122m・後円部径6.0m、前方部幅7.2mを測り、内裏塚古墳に次いで古墳群中第二位の大きさである。

 埴輪は出土せず六世紀末頃の築造と見られ、この時期に前方後円墳としては東日本最大の規模である。
 古墳の周囲には全長193mの盾形二重周溝がめぐり、外集溝は江戸時代に飯野陣屋の外濠に再利用されていたが、今も一部原型を留めている。
 後円部の東側は江戸時代末期に飯野藩の藩校(明新館)が建てられてコ字型に削られている。

三条塚古墳周溝三条塚古墳の案内板

 後円部の墳丘中腹に横穴式石室(長さ8.5m以上・幅1.5m前後)は平成元年に手前側部分の調査が行われ、人骨三体と副葬品の乳文鏡(にゅうもんきょう)・金銅製中空耳環(じかん)・馬具類(金銅製鞍金具・鞍・壺鐙金具。素環雲珠)・直刀(ちょくとう)・鉄釘・銀製算盤型空玉(うつろだま)・ガラス玉・土製漆塗小玉・須恵器(高杯蓋・高杯身・壺蓋)などが出土した。
 富津市指定史跡。

三条塚古墳の天井石 三条塚の天井石

▲現在一部露出している天井石

八重の桜第二回

八重の桜を見つつのブログ制作中に、照姫様登場!
大河ドラマ誘致で盛り上がる保科正之人気のお蔭か、保科の名もセリフにありましたね。
(千葉県民としては、忠勝…いやひっそり誘致活動をしている里見家を応援したい所ですが)

静廣院のお墓

つい先日、照姫の母である静廣院のお墓に手を合わせて来たばかりです。
早くサイトを作ってドラマ感想や、保科家の漫画や記事を書きたいなー