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NHK歴史秘話ヒストリアで林忠崇の秘話が放送されました

明治元年から満150年の昨年、各地で戊辰と明治をテーマにした記念企画が行われました。
大名林家貝淵請西藩の国元の木更津市でも市史編さん事業公開講座「木更津地域から見た明治」の一つに「脱藩大名・林忠崇の戊辰戦争」の講演があり、他にも市内地区の講座に請西藩がテーマに選ばれる等、150年記念を機に林忠崇の再評価への動きを感じています。

今年の春、NHKのディレクターさんから『歴史秘話ヒストリア』で林忠崇侯を紹介するとの連絡がありました。(収録がまとまり放送日が確定した際も再度お電話を下さった、誠実な方です)
思いがけない吉報です。
まるごと林忠崇侯をテーマにしたTV放送は初の試みではないでしょうか。

制作陣がゆかりの地でしっかりと取材を重ねていき、その土地土地で接した関係者や、噂を耳にした歴史ファンが放送を心待ちにしていたことでしょう。
そして7月24日、昭和の太平洋戦争直前まで生き最後の大名となった晩年の忠崇が答えた「明治元年にやった」とは、という一つの問答から、待ちに待った放送が始まりました。

──長身で容姿端麗文武両道の美丈夫、領民にも「お林さま」と慕われ、德川幕府を支える名君の器を持つ将来有望な忠崇が、若くして藩主となって間もなく戊辰動乱に直面するシーンで、德川の忠義を全うせんと決断した「脱藩いたす」のセリフを俳優の濱正悟さんが凛々しく発し、視聴者を引き込みます。
幕府への恩義、と言葉だけで済ますのでなく、忠崇の傍らの甲冑に象られた「兎」を通じて、松平(德川)家との縁も詳しく紹介されました。林家の祖先林光政が徳川家の祖先世良田有親親子をもてなし饗した兎という吉祥シンボルが後の将軍家の反映に繋がったとした、一文字大名と呼ばれる家紋の由来、献兎賜盃の逸話を、可愛い兎の像のある兎田から届けます。

ドラマでは、請西藩の家臣や、幕府精鋭部隊である遊撃隊の人見勝太郎伊庭八郎らと共に戦へ身を投じていくていく様を、参考文献を元にセリフを採って描いていきます。
各地転戦の果ての東北で、悲願の德川家存続と德川慶喜の命が守られた報が届き、忠崇の「自ら人柱となって德川家を救う」という目的は果たされました。このまま戦い続ければ犠牲を増やすと葛藤の末に降伏を選んだ忠崇に対して憤る遊撃隊士の前で、降伏の際に切腹を覚悟していた忠崇の口から辞世が詠まれました。
真心の あるかなきかは ほふり出す 腹の血潮の 色にこそ知れ
德川家への真(まこと)の心があるかは腹から吹き出る血潮で分かるはずだ、と。

謹慎を経て明治の世となり、戊辰戦争での敵味方に関係なく大名は全て華族という貴族階級に置かれる中で、脱藩した忠崇は一庶民として鍬を取り算盤を取り様々な職を試ながら苦渋の生活を送りました。
かつての旗揚げの志に共感した家臣子息の廣部精が中心となって奔走し、明治政府から華族の品位を保つ資産が必要との条件を満たして華族となるまでの様子が、忠崇の歌集「おもひ出くさ」の直筆の絵入り回顧録を通じて描かれます。
晩年「アパートの一室で娘と暮らす、飾らず穏やかな日々となり」の新聞記事の取材に寄せた忠崇翁の快活な笑い声に乗せて、番組冒頭の明治元年に(既に)やったという答えにつながる終幕の時がやってきます。

最後に岡崎市の龍城(たつき)神社が毎年正月に振舞う「うさぎ汁」の紹介と、先月行われた幕末遊撃隊150年慰霊祭の様子が映し出され、子孫末裔の方々のインタビューで締めくくり、ドラマのハイライトシーン「脱藩いたす」のセリフで結びました。


早雲寺碑前祭での心形刀流赤心会による奉納演武(演者撮影とネット掲載認可済)

請西藩を知らない視聴者でも分かるように練られた構成でありながら、脱藩して戦った若いお殿様というシンボリックな一面だけ取上げるのではなく、忠崇の決断の根底にある林家のルーツや、戊辰戦争後の境遇と暮らしまでしっかりと描いた、実に後味の良い放送でした。
地元の視聴者として、ディレクターさんはじめ番組スタッフの方々には感謝の至りです。

番組案内:歴史秘話ヒストリア「最後の大名 時代を駆ける」
【8/5修正】再放送は8月20日(火)NHK総合15:08~予定です。
※番組公式ページでは9月24日(火)とあります。再放送日が変更となる場合もあるので、一週間前更新のNHK番組表ご確認下さい

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放送日に合わせて、郵便局より記念切手「オリジナルフレーム切手『上総国請西藩 一文字大名 林忠崇』」が販売となりました。


そしてもう一つ大きな朗報として、番組内で明治後期に忠崇が兎田に訪問したエピソードも紹介されましたが、番組取材をきっかけに松本市の歴史研究会が旧家を訪れ、林忠崇侯の書画が複数見つかりました!

木更津市でも予てから請西藩に興味のあった面々の間ではちょっとしたお祭りムードで、放送前に西上総文化会による講演会『幕末の請西藩─戊辰戦争を中心に』が開かれています。
放送後、どのような新しい動きがあるのか楽しみです。

メッセージありがとうございました

>Y様

「竪川」についてのお問合せについて
メールにて返信しましたのでご確認下さい。

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私生活上の桎梏でブログ更新が疎かになっていますが、
相変わらず郷土史のあれこれを平行してコツコツ調べを進めています。

昨年からの「明治150年記念」企画や、それ以外の催しを通じて
新しい出会いや繋がりも出来て、これからも前進できそうです。
今後も故人を偲ぶ気持ちを忘れずに歴史を辿りたいと思います。

請西藩林家由来の江戸本所林町

▲元禄六年『江戸大絵図』に林信濃の名。「二之橋通り」に面し、北に堅川(たてかわ)、南に彌勒寺(みろくじ)や五間堀が在ります。

本所林町(ほんじょはやしちょう)
貞享2年(1685)収公された代地として元禄元年(1688)に浅草瓦町等の商戸を移し始めて林町とし、明治44年まで「本所林町」の地名で呼ばれていました。
この「林」の町名は一丁目南裏通りの幕臣林藤四郎の居住地から採ったことが『町方書上』等に記されています。

請西藩林家の祖である小笠原光政から数えて9代目の林信濃守忠隆は、大番頭に出世して貞享3年(1686)には3千石の大身旗本となりました。
西ノ久保(港区虎ノ門)に屋敷があり、ほど近くの青松寺(港区愛宕)を忠隆の代から菩提寺としています。
そして貞享5年(1688)5月19日、本所へ屋敷を移しました。(『寛政呈譜』)この直後から浅草の一部の住人が移転し、林信濃守邸から名をとって「林町」が起立したのです。

林邸は南・北側55間(約100m)、道に面した東・西側は42間3尺6寸(約77.5m)、坪数2340坪の大名並の広大な敷地で、北は土手になっていました。
その後も林家代々の屋敷として江戸絵図で年代ごとの当主の名前が確認できます。

文化2年(1805)1月12日、14代目の林忠英が大名小路と呼ばれる呉服橋御門内に屋敷を授受され2月5日に移り、文政8年(1825)一万石の大名へと登り詰めました。忠英は請西藩最後の藩主林忠崇の祖父にあたります。

 
▲竪川に架かる二ツ目橋(二之橋)から旧林町一丁目(現立川一丁目)を望む
明治4年 昇齋一景作『東京名所四十八景』本所三ツ目橋より一ツ目遠景(案内板より)
江戸に近い側から一之橋から五之橋が架けられた二つ目の橋で長さ10間(18m)幅3間(4.5m)程ありました。

 
萬徳山聖實院弥勒寺と葛飾北斎『冨嶽三十六景本所立川』
現在、林邸の在った場所は立川(たてかわ)一丁目にあたります。堅川(たてかわ)を分かりやすく「立川」としたのが新しい土地名に採用されました。
林邸の隣に在った弥勒寺(真言宗山城三寶院末派。御府内八十八ヶ所霊場第46番礼所。川上薬師如来)は慶長15年柳原に開山し天和2年(1682)移転。杉山検校こと杉山和一(わいち。綱吉の時代の総検校1610~1694)の墓所として知られています。

 
▲五間堀公園。五間堀は幅五間(約9m)の堀で、かつて弥勒寺の脇から弥勒寺橋が架かっていました。

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林町の呼称がすっかり消えたこの地に建つ「喫茶店ハヤシヤ」さんが唯一といっていい林邸の名残ではないでしょうか。マスターに店名の由来を伺ったところ偶然ではなく、林町に因んてハヤシヤの店名をつけられたそうです。

 
軽いカフェメニューの他にフードセットもあり、どの時間に行っても淹れたて出来たての美味しい飲食物と落ち着ける空間が堪能できる純喫茶です。江戸本所散策の折にはぜひ。

・「喫茶店ハヤシヤ」所在地:東京都墨田区立川1丁目11-1
・「弥勒寺」所在地:東京都墨田区立川1丁目4-13
・「二之橋跡」所在地: 東京都墨田区両国4丁目1
・「五間堀公園(五間堀跡)」所在地:東京都江東区森下2丁目30-7

林家の江戸屋敷
呉服橋と貝淵潘林家上屋敷-大名初期の上屋敷
請西藩江戸下屋敷と大久保紀伊守[本所菊川町]-もう一つの本所林邸
貝淵・請西藩江戸上屋敷[蛎殻町]-林忠崇の出生地
幕末の請西藩江戸上屋敷・蕃書調所跡[元飯田町]-最後の請西藩江戸上屋敷

参考資料
・『柳営日次記』
・『戸田茂睡全集』『御當代記
・『寛政重修諸家譜』
・『江戸町方書上』
・東京市市史編纂係『東京案内
・『江戸名所図会
・角川書店『日本地名大辞典
・『江戸大繪圖』『江戸全圖』『本所大繪図』等江戸絵図
他、案内板、リンク先ページ記載の史料等

木更津「請西藩戊辰殉難者慰霊碑」

 
請西藩戊辰殉難者慰霊碑殉難者の霊に捧ぐ詩碑
明治30年鹿野山に請西藩殉難者招魂之碑が江戸城を見守る位置に建立され
そして近年、請西藩地にも慰霊碑が置かれました。

「戊辰殉難者の霊に捧ぐ」作詞 石井武敏
時の流れは   悲しくも
献兎賜杯の   誉れさえ
始祖光政と   土の中
無念の涙は   露となり
山の緑に    今光る

いざや大義の  道なれば
差し違えても  悔いはなし
忠崇出陣の   馬を蹴る
箱根の関所の  敗退は
小田原藩の   寝返りか

生き永らえる  その身こそ
死したる者より 辛かりき
ああ諸霊よ   安かれと
朝暮に祈る   法華経の
自我偈の声や  美しき

からす鳴き 十七代で戊辰かな
立つ瀬なくすも 時流か勝せり
永らえし くしき縁の 真武根台
菩薩に祈らん 親義の人々を
             東生
平成七年九月十八日吉日 宮野高美 建之

陣屋跡地周辺の新興住宅地開拓が進められる中で、永代の哀悼の場として静かに佇んでいます。

メッセージありがとうございました

>H様(10/30着)
はじめまして。複数の流派を修めた剣術家も多々おりますが、
どのような形で伝授されたのか等々感興がわきますね。
目録の件はメールにて返信致しましたのでご確認の程よろしくお願いします。